年末年始のお寺の行事をご案内させていただきます。大晦日の17時より「年末御礼参詣」が行われます。今年の締めくくりとして最後にお寺にお参詣をしていただき、1年の無事を御宝前に御礼を申し上げさせていただきましょう。
年が明けて1日の6時から「元旦会」が奉修されます。また3日の11時から「初総講」。と「祝杯式」も行われますので、ご家族揃ってのお参詣をお勧めいたします。
開導日扇聖人ご教歌
「信心は日々にあらたにきよくせば 神の守りも強しとぞきく」
利益とは、梵語ウパカーラの訳で、元来は「仏法から享受される利得」という意味でしたが、転じて、仏や諸天から受ける加護という風に使われるようになりました。
子供が、成績向上して、希望校に入学できるのは、学校即ち先生の教えや教科書をぶらさげて、通学するだけでは望みは達せられません。誰もが使っている教科書を、誰よりも真剣に活用したものが成功しているのです。
信心も全く同様で、修行のない所に利益はありません。お祖師さまは「法華経は我身の上の日記文章なり」と仰せられました。これは、お祖師さまの日常の活動は、法華経に示されたことと一字一句も違わなかったので、私がどんな修行をしたかというような事は、法華経を逆に見てもらえば良く判りますよと、仏使としての自覚をのべられたものです。
これに対して私達の方はといえば、商売繁盛すれば忙しいといって不参し、具合が悪くなればそれどころではないといって怠け、ロクな修行もありません。これでは旨くいく道理がありません。神の守りが得られるよう、善しにつけ悪しきにつけ、励む事が、長期的な幸せをつかむ最善の法であると教えられたものです。(前進 昭和57年2月号より)
当宗の開祖であられる佛立開導日扇聖人の百回遠諱の折に、記念として宗門によって作られた映画 「佛立開導日扇聖人伝 風の門」がアップされておりましたので、ここにも転載をさせていただきます。1時間ほどの映画ですが…お時間のある時にでもぜひご覧くださいませ。合掌
長松日扇聖人のご略歴(宗門のホームページより転載)
日扇聖人〔長松清風 1817ー1890〕は、江戸末期の文化14年(1817)京都市蛸薬師通室町の商家、大路家にご誕生されました。天性文芸の才に優れた日扇聖人は、9歳のときに『平安人物誌(今の芸術年鑑)』の「書」と「画」の部に名を連ね、江戸に遊学しては松崎慊堂の晩年の門人となり、30前の若さでひとかどの町人学者となって、歌人、書家としても一家を成されます。将来は一流の書家か国学者になる道を約束された日扇聖人でしたが、母の死と自らの大病をきっかけに仏教各派の研究をされたのち、京都の本能寺で書画をかかれたのがご縁で、法華経本門八品の御題目の信仰に目覚められます。
開導聖人ご教歌
「尊像をいきていますとおもはねば 信心するも無益也けり」
日夜にお給仕しているご尊像、ご本尊を生きてまします生身のみ仏と心から信じて敬える人が、真実のお守りのいただける人であるとお示しのご教歌です。
幕末の偉人、勝海舟は熱心な日蓮宗の信者として知られていましたが、ある時、門人にむかってうっかりと口をすべらせて、お祖師さまの竜の口の御法難は後生のつくり話らしいと言ったところ、門人が反発して
「先生は真心があれば、天も地も我に従うという信念の方ではないか。凡夫の一心ですら、桑の矢を岩につきさすという不思議な働きをする。ましてや、正法流布のため、名誉も命もいらないという大聖の一心によるところ、少々の光り物や波風が起こっても異とするに足りない。一切衆生のために身をささげている人を凡夫の小さな了見で批判するのは大間違いだ」
これにはさすがの海舟先生も一言もなかったとの事です。
この話のように、ご尊像やご本尊を凡夫の小さな了見で、木切れ紙きれのように見ることは、まことに浅はかなことです。私たちの知恵分別で全てのことが割り切れるのなら、この世に何の不幸もあるわけがないのですから、神仏の不可思議力を畏れ、妙のお守りをいただく様につとめなければなりません。(前進 昭和56年8月号)
ロンドンの絵本作家がつくったという…なんとも風刺的な作品をご紹介いたします。
人類が誕生してから、生産をしては消費する。消費をしてはまた生産する。そして限りのない欲を満たすために自然を破壊してゴミを垂れ流す。そういう愚かな様子をたった3分で表現をした動画です。ぜひご覧くださいませ。