常識だけでは救われない

開導聖人ご教歌

「尊像をいきていますとおもはねば 信心するも無益也けり」

日夜にお給仕しているご尊像、ご本尊を生きてまします生身のみ仏と心から信じて敬える人が、真実のお守りのいただける人であるとお示しのご教歌です。

 

幕末の偉人、勝海舟は熱心な日蓮宗の信者として知られていましたが、ある時、門人にむかってうっかりと口をすべらせて、お祖師さまの竜の口の御法難は後生のつくり話らしいと言ったところ、門人が反発して

「先生は真心があれば、天も地も我に従うという信念の方ではないか。凡夫の一心ですら、桑の矢を岩につきさすという不思議な働きをする。ましてや、正法流布のため、名誉も命もいらないという大聖の一心によるところ、少々の光り物や波風が起こっても異とするに足りない。一切衆生のために身をささげている人を凡夫の小さな了見で批判するのは大間違いだ」

これにはさすがの海舟先生も一言もなかったとの事です。

この話のように、ご尊像やご本尊を凡夫の小さな了見で、木切れ紙きれのように見ることは、まことに浅はかなことです。私たちの知恵分別で全てのことが割り切れるのなら、この世に何の不幸もあるわけがないのですから、神仏の不可思議力を畏れ、妙のお守りをいただく様につとめなければなりません。(前進 昭和56年8月号)


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