利益を受けるのには

冬の空

開導日扇聖人ご教歌
「信心は日々にあらたにきよくせば 神の守りも強しとぞきく」

利益とは、梵語ウパカーラの訳で、元来は「仏法から享受される利得」という意味でしたが、転じて、仏や諸天から受ける加護という風に使われるようになりました。

子供が、成績向上して、希望校に入学できるのは、学校即ち先生の教えや教科書をぶらさげて、通学するだけでは望みは達せられません。誰もが使っている教科書を、誰よりも真剣に活用したものが成功しているのです。

信心も全く同様で、修行のない所に利益はありません。お祖師さまは「法華経は我身の上の日記文章なり」と仰せられました。これは、お祖師さまの日常の活動は、法華経に示されたことと一字一句も違わなかったので、私がどんな修行をしたかというような事は、法華経を逆に見てもらえば良く判りますよと、仏使としての自覚をのべられたものです。

これに対して私達の方はといえば、商売繁盛すれば忙しいといって不参し、具合が悪くなればそれどころではないといって怠け、ロクな修行もありません。これでは旨くいく道理がありません。神の守りが得られるよう、善しにつけ悪しきにつけ、励む事が、長期的な幸せをつかむ最善の法であると教えられたものです。(前進 昭和57年2月号より)


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