開導日扇聖人ご教歌
末法は無智なる故に心にて 出来ぬを所作でするが信心
仏さまのお悟りの法であるお題目のご信心を、理屈がわかったらいたしますと言うのでは、一生かかっても成就する事は出来ない。先づ、真似でも良いからやってみる事、すると善い結果が顕れて、ついには喜んでご奉公できるようになるものだとお示しのご教歌です。
山本周五郎の小説ですが、体が大きく強そうに見える癖に、根っからの弱虫のサムライが、道場破りという珍商売を始めました。門弟の手前天下の豪傑のように振る舞い、堂々と刀をかまえた後で、ガラリと刀を投げ出し、「とても先生にはかないません」と頭を下げれば、気分を良くした先生からご祝儀がいただけるだろうという計算です。これが図にあたって商売繁盛したのですが、思いがけない副産物があって、本人までが堂々とした剣豪になってしまったというのです。それは、何とか格好だけでも強く見せようと古今の名人の真似をしている内に、いつか剣の極意にかなって、腕が上がってしまったのでしょう。
真似でもしつづけていれば真をつかむ良い例です。信者の中にはおだててもすかしてもケロっとしている人がいますが、これでは100年たってもご利益はいただけません。せめて信者らしい真似のできる信者となりましょう。(前進 昭和57年3月号)