開導聖人御教歌
「罰ですら現世にあたる妙法の つとめは未来豈またんやは」
賞と罰とは、仏の衆生教育法の二面です。子の親として、叱るのとほめるのとどちらを好むかといえば、勿論誉めることであるように、仏も又同様に、衆生に福のご利益を下さることを第一の喜びとされています。それでは、何故仏の好まれないお罰などがあるかといえば、私達は仏果を得る迄は永遠に輪廻転生をくり返す身で、小さな過ち一つと思っても、その苦果を受ける期間が果てしなくながいからです。ですから、仏は涙をのんでお叱りを垂れるのです。
若しも、信心決定をすれば、仏は大変喜ばれて、陰に陽に私たちをお守り下さいます。日扇聖人の別の御教歌に「世の中がくらしにくいとなく人は。わが門人に一人もなし」と説かれています。勿論これは、どんな人にも適切な教えを説いて、物心両面に渡って幸せにされた聖人の教導上の自負の心をうたわれたものですが、お題目を唱える者には、三災七難を離れるご利益があるという仏のみ意を素直にのべられたものでもある訳です。
昨年1年をふり返って、「苦しかったナ」と思える人は幾分懈怠のお叱りを受けた方でしょう。本年は信心決定し、後々まで思い出に残るような生き甲斐のある1年を送りたいものです。(前進 昭和57年1月号)
【HPに転載するにあたっての追記】
「三災七難とは」
「三災」とは、世界の破滅期に起こる大の三災と、日常に起きて人々を滅ぼす小の三災があります。『倶舎論(くしゃろん)』という教えによると、大の三災に火災・風災・水災があり、小の三災に穀貴(こっき)・兵革(ひょうかく)・疫病(えきびょう)があります。穀貴とは、五穀の価が異常に高騰(こうとう)する物価騰貴のことであり、兵革は戦争、疫病は伝染病や流行病などのことをいいます。
「七難」とは、法華経によれば(1) 火難,(2) 水難,(3) 羅刹 (らせつ) 難 (悪鬼による災難) ,(4) 刀杖難,(5) 鬼難 (死霊による災難) ,(6) 枷鎖難 (牢獄にとらわれる難) ,(7) 怨賊難とあります。