今回は、私がかなり大きな影響を受けている自然農法家の福岡正信さんという方をご紹介しようと思います。生前…縁あって一度お会いしたことがあるのですが、ものすごいオーラを持った方でした。
動画はいつか削除されるかもしれないので、いちおう内容を書き起こしておきます。
“耕さない、雑草を抜かない、農薬も化学肥料も与えない”
福岡正信さんは自然農法を実践し、世界中の農業者に大きな影響を与えました。
福岡「いかにしたら昼寝ができる時間が多いか、それが最大のモットー。ああする こうするじゃなくて、何もしないようにするには、昼寝するにはどうしたらいいか」
福岡さんは、大正2年に愛媛県伊予市に生まれました。実家は代々続く名家で、父親は村長をつとめたこともあります。現在の岐阜大学で植物病理学を学び、卒業後は横浜の税関で植物の検疫の仕事につき、みかんの病気を研究しました。転機をむかえたのは25歳の時、急性肺炎にかかり死の淵を彷徨ったことが福岡さんの価値観を大きく変えました。
福岡「人間の知恵と力はまったく役に立ってないことに、25歳の春気がついた。自分の生き方は自然農法をやって、百姓になって生きていくだけだと、食って寝て生きていればいいという結論が出てしまった」
福岡さんは研究者のキャリアを捨て、故郷の伊予市で自然農法を実践します。
福岡「科学が無用…無能というか、人間の一切の科学的知識が無駄に終わるということを証明しようとしている。自分が米を作ったりしているのもそう。何もしなきゃ結構できるじゃないか。やればやるだけ自然から離れて、人間の知恵でやるほど難しくなる」
福岡さんの米作りは常識を覆すものでした。水田に苗を植えるのではなく、種籾を土の上に直に蒔きます。化学肥料や農薬は一切使わず、代わりにわらを蒔きます。そうすることで土地が肥え、雑草を抑えてくれるといいます。
さらにユニークなのが、稲を刈る前に次に育てる麦を蒔くこと。
福岡「稲があるうちに麦をまいておけば、稲刈りするときに麦がなっている。稲があるうちに麦が生えているから、稲刈りした後で草が生える余地が無い」
この常識破りの農法で、福岡さんは他の農家に勝るとも劣らない収量を上げ、次第に世間の注目を浴びるようになります。
福岡「今の農法というのは、人間の知恵でやった農法。弥生時代、その前の縄文時代は人間の知恵じゃなくて、人間も自然の一員として生活していたことが、そのまま農業の方に及ぼす。人間の知恵を否定、科学を否定し、文明を否定したら、残るのは自然農法。原点に帰った自然農法しか残らない」
62歳の時、福岡さんは自然農法の経験を本にまとめました。
「革命というものは、このわら一本からでもおこせる。このわらは軽くて小さい。だが人びとはこのわらの重さを知らない。このわらの真価を多くの人びとが知れば、人間革命がおこり国家社会を動かす力となる」(わら一本の革命より)
わら一本の革命は、世界各国に翻訳され、福岡さんの名は広く知られるようになります。国籍を問わず多くの若者が福岡さんの元に集まり、共同生活を送りながら自然農法を学びました。
福岡「日本の農村青年は、言っては悪いけど…終戦後、近代化とかなんとかということで、徹底的にいわゆる企業農法みたいなものをたたき込まれている。うちへ来るのは、むしろ都会でね、コンピューターやった、電気やっていた、自動車乗っていたというような人が、先をはじいてみたら大体見通しがついたと来るような人の方が多い。畑違いの人で、絶望したというか都会文明から抜け出そうとするようなのが多い」
福岡さんの自然農法、その集大成といえるのが「粘土団子」です。土にさまざまな種類の種をまぜ、水を加えて練り込みます。果樹や野菜だけでなくクローバーや薬草の種も入っています。この粘土団子を農園内どこにでも蒔いて回ります。
福岡「これをこうしてまいて、するとスズメが食わない、ネズミが食わない。ひと雨降ると水分で発芽して根がおりる。この粘土団子でまけば耕す必要はない」
粘土団子を蒔いた農園です。団子にふくまれていたたくさんの種の中から、その場所と季節に合った作物が、人間の力を借りなくてもすくすく育つのだと、福岡さんは言います。
福岡「たくさんのものをまいておけば、必ずどれかが成功しやすい。種類を限定してまくと、ここは大根がよかろう、ここはカボチャがよかろうなんて、区別してまくとかえって大きな発見ができない。こんな所にゴボウができるとは思わなかった所にできるとか、たくさんまいておけば教えてくれる、自然が」
粘土団子は、世界中で注目を集めました。特に熱い関心を寄せたのが、食料不足や土地の砂漠化に悩むアジア・アフリカの発展途上国でした。福岡さんはしばしば現地に招かれ、粘土団子を使い土地の緑化や食料の増産に力をつくしました。その功績が認められ、アジアのノーベル賞といわれる「マグサイサイ賞」を受賞します。
福岡「まあ、この年になりまして40~50年、自然農法をやってきたけれど、結局何をやっていたかというと、考えてみれば砂漠化防止の研究をしていたとも言える。砂漠地帯へ行ってみて、自分の自然農法が役立つか役立たないかを見てみたいというのが、ひとつの動機だったんでしょうかね」
世間の喧噪を逃れ、自給自足の生活を送った福岡正信さん。自然が主役という信念は、95歳で亡くなるまで、生涯揺るぎませんでした。
福岡「何もしないのが最高の農法になる。何もしない。人間の知恵を否定するし、モノに価値があるんじゃないと、人間が生産しているんじゃない。自然が作っているんだと、これは。草一本人間が作っているんじゃない。自然が作っているんだ」