貧しい供え物

今回は、仏教説話の中より「貧しい供え物」というお話をご紹介いたします。以下…

昔、バーラーナシーの 都に近い村では、それぞれの木に宿っている樹の神を敬い拝むというならわしがありました。祭りの日が来ると、村人たちはそれぞれ自分の拝んでいる樹の神に様々な供え物をしました。

その村に 一人の貧しい男がいました。この男も そのならわしに従って、自分の拝んでいる一本の木の前へやって来ました。 

ほかの人々は、花の飾りや においのいいお香、それに おいしい食べ物などを たくさん供えていましたが。しかし、貧しい男にはそんなものはありません。男が供えようと持ってきたのは、粗末な菓子と、ヤシの器に入れた一杯の水だけだったのです。

男は 木の前に立って考えました。
「神さまは、このうえもないおいしいごちそうをいつも食べていらっしゃる。わたしが持ってきたこんな粗末なお菓子など、きっと食べてくださらないに違いない。このお菓子は 粗末とはいえ、わたしにとっては大切なものだから、ここへお供えしておくよりも、わたしがいただいた方がいいかもしれない」

男は、ちょっとしょんぼりしながら菓子と水を持って立ち去ろうとしました。
その時、男を 後ろから呼び止める者がありました。

「男よ、ちょっと待て。」

男が驚いて振り返ると、樹の神が姿を現して呼びかけているではありませんか。

「もどってきなさい。お前は何をそんなに卑屈になっているのだ。」

樹の神は、男に向かって優しくほほ笑んでいました。

「なにも恥じることはない。もしお前が長者であれば、りっぱなお供えをすることができる。しかし、お前は貧しいのだ。貧しいお前がありったけのお金を使い、そして心からの供え物を持ってここへ来てくれた。私はそれだけでもうれしい。それなのに、それを持って帰るとはどうしたことだ。お前にとってのごちそうは、わたしにとってもごちそうなのだ。」

男は 申しわけのないことをしてしまったと後悔して、菓子と水を供え直しました。すると、樹神はそれをおいしそうに食べながら男に尋ねました。

「男よ、お前は何を願ってわたしを拝むのだ。その願いを述べてみなさい。」

「わたしは貧乏でございます。ですから、あなたのお助けによって、今のこの貧しい境遇から抜け出したいと拝んでいるのでございます。」

「 分かった。お前は貧しいにもかかわらず、真心をもってわたしに供養してくれた。その善業の功徳として、わたしはお前にいいことを教えよう。この木の周りの土の中には、お金や宝の詰まったつぼがたくさん埋めてある。お前はこのことを王に申し上げ、掘り出したつぼをお城に積み上げるのだ。王はお前の行いに感謝し、必ずお金を扱う役人にとり立ててくださるだろう。」

そう言い終わると、樹の神はすっと木の中へ姿を消してしまいました。正直者の男は、樹神から聞いたとおりを王に伝えました。王は男と家来たちに木の周りを掘らせ、金銀財宝の詰まったつぼを城へ運びました。そして王は男に感謝して言った。

「独り占めしても、だれにも分らないものを ・・・・・。」

王の言葉を聞いて、男は答えました。 

「神さまが ご覧になっていらっしゃいますから。」

王は男の正直さに感心して、満足気に言いました。 

「お前を、今掘り出したこの金銀財宝を管理する役人にしよう。」

「ありがとうございます。一生懸命務めます。」

男は喜んで引き受けました。そして、それからは豊かで幸せな日々を送ったということであります。


味噌作り終了。感謝感謝

去る24日、お寺で味噌を30キロ仕込みました。麹を扱って60年のプロに教えていただいたレシピを、備忘録も兼ねてアップしておきましょう。名倉さん、本当にありがとうございました。合掌

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①前日の夕方、6升の大豆をよく洗い水に浸す。

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②当日の朝7時、鍋に火を入れる。丁寧にアクを取りながら約4時間煮込む。

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③大豆を煮込んでいる間、6升の麹をほぐし約3・5キロの塩としっかり混ぜ合わせる。
④大豆が煮えたら、約4時間かけてゆっくり蒸らす。

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⑤厚手のビニール袋に大豆を入れて、足で踏みしっかりと潰していく。

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⑥潰した大豆と塩切りした麹をまんべんなく合わせる。その際に大豆を煮た時の煮汁を少し入れて、ハンバーグの生地ぐらいの硬さに調節する。

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⑦保存する樽の中にビニール袋を入れ、その中に混ぜ合わせた味噌(の元)を団子状に丸め、空気が入らないように投げ入れていく。
⑧一晩その状態で置いておき、翌日ビニールの上を縛って熟成させる。


お寺で味噌作りします

急な話で恐縮ですが、明後日の24日、お寺で30キロの味噌を仕込むことになりました。
2月8日に行われた「麹職人の甘酒とお話の会」でも講師をして下さった…当山信徒の名倉さんのご指導をいただく予定になっています。

つきましては…せっかくプロの麹職人の方に指導をいただける大チャンス。私達だけ教えてもらうのは勿体ないので、もし味噌作りを見学してみたい。あるいは体験してみたいと思われる方は、当日ぜひお寺においでくださいませ。一緒にわいわいやりながら遊びましょう。
いちおう朝の8時頃から大豆を煮込み始め、大体昼過ぎまでの行程になると思われます。

もし、参加されたいと思う方は、この記事のコメント欄かメールフォームにメッセージをよろしくお願いいたします。合掌

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マヨネーズの瓶と二杯のコーヒー

本来であれば…日曜日に行われた門祖会の様子をアップしたいところなのですが、まだ写真が私の手元に届いていないものですから(汗)、今回もネットで拾ったなかなか良い話をご紹介いたします。

 

「マヨネーズの瓶と二杯のコーヒー」

哲学の授業が始まる前に、1人の教授があるものを持って教壇に立った。

授業が始まると、彼は黙ったまま、非常に大きな空のマヨネーズの瓶(海外でマヨネーズは瓶で売られていることが多い)を手に取り、その中に「ゴルフボール」を一杯になるまで詰め込みました。
そして彼は生徒たちに「この瓶は一杯ですか?」と尋ねました。
生徒たちは「一杯だ」と答えました。

マヨネーズの瓶

次に教授は「小石」の入った箱を取り出し、それらを瓶に注ぎ込みました。彼は瓶を軽く振り、小石はゴルフボールの間にある隙間を埋めていきました。

彼はまた生徒たちに「この瓶は一杯ですか?」と尋ねました。
生徒たちは再び「一杯だ」と答えました。

次に教授は「砂」の入った箱を取り出し、それらを瓶へ注ぎ込みました。その砂は予想通り、ビンの中のすき間を埋めました。

彼は再び生徒たちに「この瓶は一杯ですか?」と尋ね、学生たちはみんな「はい」と答えました。

次に教授はテーブルの下から「2つのカップに入ったコーヒー」を取りだし、砂と砂のすき間を埋めるようにそのコーヒーを瓶へ注ぎ込んでいきました。生徒たちは笑いました。

「さて」
教授のこの言葉に、生徒たちの笑いが止まりました。

「この瓶は、あなたの「人生」を表していることに気がついて欲しい。ゴルフボールは人生の中で最も大切なもの。あなたの家族、子ども、健康、友人、情熱など重要なものを表しています。たとえ他のすべてを失っても、これら大切なものが残れば、あなたの人生は満ち足りたものであるでしょう」

「小石はそのほかの物、たとえば、仕事、家、車など。」

「砂は、他の小さなものを表します。もし、あなたが初めに「砂」で瓶をいっぱいにしてしまったら、小石やゴルフボールを入れるスペースがなくなってしまいます。これは人生と同じで、もしあなたが些細なことに、全ての時間とエネルギーを費やしてしまったら、あなたは決して大切なものを手にすることができません」

「あなたの人生における大切なものに気をかけてください。子どもと遊びなさい。健康診断を受けなさい。パートナーと食事に行きなさい。掃除や物の片付けなんかは、いつでもできるのだから」

「人生におけるあなたの「ゴルフボール」を大切にしなさい。優先順位をつけるのです。ほかのものは全て単なる「砂」です」

すると1人の生徒が手を挙げ、「では、コーヒーは何を表しているのですか?」と質問をしました。

教授は笑いながら「よくぞ聞いてくれた」と言い、
「これは人生がどんなに手一杯に見えても “友達と一緒にコーヒーを楽しむ時間はいつもある” ということを表しています。」と答えました。


成功は続けることから

オウム

 

開導日扇聖人御教歌
していけばでけていくものでけぬとて
やめたらやめただけのびんばふ(貧乏)

貧乏で苦しいからと、ヤケを起こして仕事をやめてしまえば、余計貧乏になります。どんな事でも根気良く続けていけばかならず芽がでるもの。世法も仏法も同じとお示しの御教歌です。

仏さまのお譬え話ですが、昔竹ヤブの小動物に招かれてお客となったオウムが、いざ家に帰ろうとする日に、竹ヤブが大火事になりました。オウムは、自分の翼をぬらして、その水で火を消そうとしたので、仲間がその無茶をとがめると、「ご恩返しのために、この一生で火を消せなければ、生まれ変わってもかならずやりとげます」と答えたので、天の神が感動をして、雨を降らせたと説かれています。

生まれ変わっても初志を貫こうとしたオウムの話はお話の美化としても、私たちのまわりには、あまりにも続けることの不得手の者が大勢います。職業にしても、2~3年で仕事を変えていれば、いつまでたっても熟練者になれませんから、こちらの要求を通すことができません。

お看経にしても、1月や1年でやめてしまえば、水虫に薬をぬるようなもので、なおったと思うところから再発するように、罪障がまたたくまに出てきてしまいます。「信心は持つにあり」で、根気よく続けること、これが諸願成就の道です。(前進 昭和57年8月号)

 


「あはがり」 朝崎郁恵

たまには…音楽なんぞもちょこっとご紹介してみましょう。
これは奄美の朝崎郁恵さんの歌で「あはがり」という曲。
なんとも切なくも優しい歌声で、また…歌詞も素晴らしいです。良かったらお聴きください。

あはがり

あれい うきよかりじまに いてぃがでぇぃむ ぃらりゅむぇ
(この世は神様からいただいた仮の世 いつまでもとどまって居られましょうか)

なさけ あれぃよ かなやでぃくぬよばぁょ うされぇぃがでぇ
(命を敬い生きていきなさい この世の生をなし終えるまで)

いりゃぁみぐるま めぐりまぁあわそ 
(時はめぐる 水車のように だからまためぐり会える)

てぃきのあはがりしやでぇ たましゃぁおどぅてぇ たましゃぁおどぅてぇ
(月のあかりの下で 人々は再び魂が踊り明かす)

いきしゃん くどぅあてぃむ てんとやだいちや
(どのようなことがあろうとも 天と大地の間)

てぃきのあはがりしやでぇ たましゃぁおどぅてぃ たましゃぁおどぅてぇ
(月のあかりの下で 人々は再び魂が踊り明かす)


馬車の話

今回は、仏教説話の中より「馬車の話」をご紹介することにいたしましょう。

ある国の王様が馬車で外出をしようとしたところ、ピカピカだった馬車はボロボロに壊れ、きれいな皮の飾りもビリビリに裂かれていました。

王様「なんということだ!一体誰のしわざだ!」

王様はかんしゃくを起こして大声でどなりました。大臣がおそるおそる言いました。

大臣「王様、皮ひもにかみついたあとがあります。それから犬の毛が…。」

大臣の言葉が終わらないうちに、王様はカンカンになって命令しました。

王様「ええい、がまんならん。 町中の犬を見つけしだい殺してしまえ!」

さあ大変です。町中で犬の捕獲がはじまりました。これを知った犬の王様は、この大事件を解決するために急いでお城へかけつけました。

犬の王様「王様の馬車を犬が台無しにしてしまったという話ですが、それを実際にごらんになったのですか?」

王様「いや、見てはいないが、咬んだ後と犬の毛があった。それがなによりの証拠じゃ。」

犬の王様「それでは、町中の犬が犯人なのですか?」王様「いや、そうではないが、どの犬なのかわからないからだ。犯人さえわかれば、命令をやめてもかまわん。」

犬の王様「それではここに王様の犬を連れてきてください。そしてミルクにクシャの葉をまぜて飲ませてください。」

家来が言われた通りにしました。2ひきの子犬は間もなく気分が悪くなって、食べたものをはき出しました。すると、その中には馬車の皮ひものかけらがありました。王様は、自分の犬が犯人だと知ってびっくりしました。そこで王様は、犬の王様に尋ねました。

王様「わしの犬が犯人だと、どうしてすぐにわかったのだ?」

犬の王様「理由はかんたんです。お城には高い塀がめぐらされています。だったらお城の中の犬にしか、あんなことはできないでしょう。」

王様「なるほど。しかし、わしはなぜそのことに気がつかなかった?」

犬の王様「それは、王様が腹を立てていたからです。そんな時には目の前にあるものさえ見えません。そればかりか、ふつうならできないようなおそろしいことも平気でやってしまうのです。王様が罪もない町の犬をみな殺しにしようとしたみたいに。」

王様「う~ん、悪いことをしてしまった。わしはかんしゃく持ちでな。自分でも治るといいとおもうのだが、どうしたものだろう…。」

犬の王様「静かに心を落ち着けて、自分をふりかえってみるのです。そうすれば、今まで見えなかったものが見えてくるでしょう。それを大切にして、考え深い人になるように努めることです…。」

と…このようなお話ですがいかがでしょうか?もうおわかりのように、このお話はうかつに腹を立てることの愚かさを戒めたものです。私達もこのようなお話を教訓として、恥ずかしい行いは慎みたいものですね。