開導日扇聖人御教歌
「言ばのみありてまことのなきならば たれ法華経とあがめまつらむ」
名前ばかりで、実(ご利益)がないならば、いくら仏のお悟りの法といっても、法華経を尊ぶ人はないであろうとのお歌です。
名と実の関係について考えてみましょう。当寺は、昭和22年に寺号公称して、正晨寺となりました。「正」は、正法、本門八品上行所伝の妙法を指します。「晨」は、夜明け、朝、または鶏が時刻を告げる勇ましい声をあらわします。と同時に、御講尊日晨上人の衣鉢をつぐという意味もあるでしょう。ですから正晨寺を公称した当時の教講は、御題目の声がいつも堂内に絶えないお寺、希望の朝をむかえて、教線が日に日に伸びていくお寺、雄鶏のように向こう気が強く、弘通の勝ち名乗りが聞こえるお寺、そして日晨門下の優等生をひそかに自認していたものと思われます。現実ははたしてどうでしょうか。
(中略)
子や孫に引き継ぎ、そしてまた私達が魂を休めるお寺です。名に恥じないようなご奉公をさせていただきましょう。
(前進 昭和58年11月号より)