ちょっと良い話

佛立開導日扇聖人御教歌
「値難き御法にあひしうれしさを かたりなぐさむのりの友かな」

ご信者の友はなにものにもかえがたい。仲間を大事にしなくてはならないと教えられたお歌です。そこでちょっと良い話。

浅羽の岡本とみさんは、正晨寺きっての強信者。朝は4時頃起きて、お寺の弘通発展のためのお看経をしています。岡本きたさんも、師匠ゆずりの篤信で、朝の5時半には、とみさん宅のお助行に行くのが日課です。

ある日のこと、きたさんは珍しく寝坊をして6時に起床しました。そして、大慌てで身辺の整理をしていました。ところがとみさんにしてみれば、毎朝必ずくるきたさんが、今朝に限って見えないので、心配でたまりません。そこで、何回も電話をするのですが、間の悪いときは仕方がないものです。きたさんは耳が遠く、日頃は補聴器をしているのですが、その朝はバタバタしていて、その用意をしていなかったのです。これではベルが聞こえません。

そんな事とは知らないとみさんは、きたさんの身辺に何が起こったかた疑いました。そこで老いた体にムチ打って、きたさんの家にやってきました。そして、その無事を確かめたとき、目から大粒の涙がこぼれたということです。「信心て素晴らしいな」ときたさんがつぶやきました。

ところで、皆さんの部内のご信者は如何ですか。お会式以来会ってない方もあるのでは?
(前進 昭和63年11月号より)


進んで提案し活かしましょう

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佛立開導日扇聖人御教歌
そはよしと 互いに顔を見合せて とても出来ぬと あほはいふなり

良い意見がでても、さて実行をする段になると、皆んな自分の都合をいいたてて、誰も協力をしないから、いつまでも発展をしないと嘆かれたお歌です。

仏様が諸国を歩かれているとき、ある弱小国の王が不安そうにいいました。
「ご存じのように隣国はまことに強大です。わが国はいつか亡ぼされてしまうのでしょうか」
これを聞くや、仏様は
「たしかに隣国は強大ではあるが1人の専制君主にひきいられていて、人々は自分の意見をのべようとしない。それに対して、この国は、常に会議を開いて多くの意見がだされ、国民の1人1人が自分のなすべきことを知っている。亡ぶとすれば彼の国で、この国は安泰であろう」
と断言されたそうです。

正晨寺憲章の中には
「意見は、進んで提案し活かしましょう」とあって、仏様のお耳に達すれば、きっとお喜びいただけるような約束がのべられています。

たとえお寺が小さくとも、この正晨寺憲章の心のように実行すれば、お寺の発展も、個人の心願成就も意のままです。お寺を良くする提案をし、分に応じて御奉公を分担して、努力させていただきましょう。


二億一千四百万人

佛立開導日扇聖人御教歌
わがつみの きゆるよすがと 唱ふるや 妙のみ法の こえぞたのしき

お題目を唱えるごとに苦しみの種がへっていくかと思うと、うれしくてならないとお示しのお歌です。

お祖師さまが
「我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり、譬えば種子(たね)と菓子(このみ)と身と影の如し。」

と仰せられるように、私たちは両親から長短両方の特徴を受けついでいます。その両親は祖父母から、祖父母は曽父母からと際限ありません。ある物好きが、俗に言う、私たちのご先祖、両親2人にそれぞれ両親があって4人という風に計算したところ、十代前は2千人、二十代前は2百万人、三十代前となると2億人という数字となったそうです。

三十代前というと大層古い昔のようですが、凡そ150~60年前くらいだというのですから驚きです。

いずれにしても、私たちの体には沢山のご先祖方のいろいろな力が組み込まれています。果報のない人は先祖どころではなく、両親の短所をもろに受けて短命に終わったりします。果報のある人は、トビが鷹といった具合に、実の父母が目をむくような立身出世をします。

このお題目口唱は、私たちの内蔵している良い力を発揮させ苦しみの種を消滅するのです。ご信者は親より子、子より孫と末広がりに幸せになるよう、口唱参詣等、修行を軽んじない事が大切です。
(前進 昭和63年 9月号より)


晨は希望の夜明け

開導日扇聖人御教歌
「言ばのみありてまことのなきならば たれ法華経とあがめまつらむ」

名前ばかりで、実(ご利益)がないならば、いくら仏のお悟りの法といっても、法華経を尊ぶ人はないであろうとのお歌です。

名と実の関係について考えてみましょう。当寺は、昭和22年に寺号公称して、正晨寺となりました。「正」は、正法、本門八品上行所伝の妙法を指します。「晨」は、夜明け、朝、または鶏が時刻を告げる勇ましい声をあらわします。と同時に、御講尊日晨上人の衣鉢をつぐという意味もあるでしょう。ですから正晨寺を公称した当時の教講は、御題目の声がいつも堂内に絶えないお寺、希望の朝をむかえて、教線が日に日に伸びていくお寺、雄鶏のように向こう気が強く、弘通の勝ち名乗りが聞こえるお寺、そして日晨門下の優等生をひそかに自認していたものと思われます。現実ははたしてどうでしょうか。

(中略)

子や孫に引き継ぎ、そしてまた私達が魂を休めるお寺です。名に恥じないようなご奉公をさせていただきましょう。
(前進 昭和58年11月号より)


無財の七施

佛立開導日扇聖人御教歌
「布施すべき財(たから)なくとも志 あらば功徳はふかき大海」

志とは、心を刺すことだ、だから心がチクリと痛まないような布施供養・修行は志とはいえないと言った人がいます。

小学校にも行かない子供のお年玉でも千円ではどうかなという時代に、それ以下の金額で、志だからこれでいいのだなんて威張っているのは、本当ではないというのでしょう。

しかし、歳をとったり、事情があって、一銭もなくても布施行は出来るのだと、仏は教えられています。それを「無財の七施」といいます。

それは、
①眼施
②和顔施
③言辞施
④身施
⑤心施
⑥床座施
⑦房舎施
といい、眼施を例にとれば、優しいまなざし、人を励ます目つき、信頼のこもったその視線を感じると、思わず頑張りたくなるような雰囲気をいうのです。

眼・顔・言葉・低い腰・思いやりのある心・席のゆずり合い・最上のあたたかい部屋を老親や病人に与える心くばりなどを教えられたものです。

浄財喜捨の浄念とともに、自分の一挙手一投足が相手を幸せにも不幸にもするのだと自覚して、あたたかく、そしてつましく振る舞うことができたら、お寺も家庭も職場も、どんなに明るく楽しくなるでしょうか。

先ず、罪障の捨て処であるお寺で実験してみましょう。
(「前進」昭和59年10月号より)


菩薩の四無量心

佛立開導日扇聖人御教歌
「菩薩とは在家出家にかかはらず 人を助くる人をいふ也」

僧侶もご信者も人を助ける心がなければ、人として劣った者であるとお示しの御教歌です。

仏は、宗教人として、また社会人として一人前になるため四無量心という心を持たなくてはならないと説かれています。これは…
【慈】どのようにしたら、自分をとりまく人々を幸せにできるかを常に考える。
【悲】人々の不幸、苦しみを自分の手で如何に除去できるか。
【喜】相手が幸せになることが、自分にとって最高の喜びであると心に言い聞かせ、他人の喜びを我が喜びとする。
【捨】世の中の全ての人は平等であって、苦しんでよい人、不幸せであって当然の人はないから、とぼしい物も分けあって、小欲知足の生活をするという事です。

この為に、まず怒らない、相手を傷つけない、ヤキモチを焼かない、そして自分独り占めにしないことが大事といわれています。

この事が家庭にあっても、職場にあっても、巧まず実践できれば、必ず人の信頼を得て、人中の太陽になることができるでしょう。

捨無量心の一つをとっても、ご信者の中には、生活の苦しい人、病気がちな人、年をとった人、沢山あるのですから、おいしい物を食べる時にはあの人にもと考えて、手近なところからお稽古をしてみようではありませんか。
(前進 昭和59年4月号より)


功徳は功徳、無功徳は無功徳

井伏 鱒二

井伏 鱒二

佛立開導日扇聖人御教歌
大かたは人めつゝしむばかりにて 冥の照覧おもはざりけり

人の批評・評判は気になりますから、悪く言われないよう努めます。しかし、仏さまの勤務評定を忘れている信者が多い、気をつけなければならないとお示しのお歌です。

井伏 鱒二という小説家は、川釣りの名人として知られていました。人の評判など一切気にせず、自分で得心のいくように竿をふって名人芸を楽しんでいました。

ある日のこと、ハヤを釣っていると、後ろに立った男女があって、男が無遠慮に、釣った魚を売ってくれという。失礼な人間だと黙殺していると、女の声が更に追い打ちをかけて、「どうせ釣れないのよ。きっとへたくそなのね」と言う。

よし、こいつらの目の前で、プロの腕前を見せてやれと、数分後、かかった魚を心臓をドキドキさせながら手元に引き寄せ、どんなもんだと後ろを振り返ったら、くだんの男女はとうの昔にいなくなっていたという話を書いています。

人に良く思われようとしたのが失敗だった。まだまだ自分は本当の釣り人ではない。とこの小説家は苦笑しています。

ご信心は人のためにするのではありませんから、いくら人がほめてくれても、修行をしなくては無功徳です。

言い訳・愚痴・自己弁護をしないで、仏祖のお喜びをいただくように努めましょう。

(前進 昭和58年8月1日発行)

 

 

 


愚痴を言っても良くならない

開導日扇聖人御教歌
「身にやまひ受しむくひも法華経の 見すて給はぬ逆縁としれ」

苦しみに出逢うたびごとにこれは仏さまが私たちをお試し下さっているのであるからここを乗り切れば本当の幸せがやってくると、強く明るい気持ちを持つことが大事であるとお示しのお歌です。

苦しみの中でも、病気は最たるものの一つですが、病気のおかげで命が助かった人もあります。

西南戦争で薩摩に逃げ帰った人を追って、1人の密偵が侵入しました。ここと目星をつけてある家をはりこみ、今日こそ逮捕という時になってひどい下痢を起こして、7日もの間病床につく始末に、のがした手柄をくやんで、大いに愚痴を言ったことでした。

ところが先方では、あまりにしつっこく追い回されるのに業をにやして、今日こそ密偵を殺してしまおうと親類を集めて待ちかまえていたということで、病気にかからなければ、すんでの所で命を落とす所だったのです。

こんなドラマチックなことは数少ないとしても、体が弱いために体を使う仕事から、頭を使う仕事に変わって成功した人もいます。貧乏のおかげで子供に自立心がつき、後半生幸せになった家族もあります。

要は愚痴ばかり言わず、なんでも明るく受けとめて、死中に活を求める生き方をすると、かならず仏さまがお守り下さるのだと確信させていただきましょう。
(前進 昭和58年5月号より)


お宿(幸福荘)の予約は如何ですか

開導日扇聖人ご教歌
「たび人のあさたちいづるあしもとに くれのとまりをおもはぬやある」

朝を誕生と考えれば、夜の泊まりは臨終となります。利口な旅人が、出発前に今夜の宿を予約しておくように、立派な信者は、無痛臨終、寂光参拝ができるよう、功徳をつむことを怠らないことが大事だということになります。

学生にとっては、朝を入学時とすれば、1日の終わりは卒業、または上級校の受験となりますが、どの位真剣にそのことを考えていたかを、現在多数の若者がそれをためされているのです。

何によらず行為(因)があれば結果(果)があると教えられるのが、仏さまの因果のお悟りです。信心のある、そして真面目な人は、自分が仕掛けて有頂天になって騒いでいる時でも、どこか心の片隅がさめていて因果の報いということを承知しているものです。

生麦事件から、薩英戦争となり鹿児島が戦火を受けるという事件がありましたが、その時、薩摩藩は城下に被害が及ぶことを考えて、人家からは、家財道具は言うに及ばずタタミ、フスマの類まで疎開させ、官公庁、寺院等は復興に備えて絵図面を作っていたということで、これが敵国英国の好意を受ける元となり維新の陰の力となったとのことです。

お互いの、現在していることが、いつか必ず結果となってあらわれるのですが、自信の程は如何ですか。(前進 昭和58年3月号より)


せまい量見をすてよう

開導日扇聖人ご教歌
考へて悟る位の法なれば 御題目はいらぬもの也

もう少し信心が判ったら、得心したらご奉公しますという人がいるが、凡夫の知恵で奥底の見極められるようなものなら、お祖師さまのような宗教的天才が命がけで修行なぞなさる訳がありません。

自分のせまい量見をすててお寺に近づき、口唱に励めば今よりももっと幸せになれるのだとお示しのお歌です。

昔の講談本に剣術の伝書盗みの話がのっていますが、こんないいかげんな話はありません。事実、現存している免許皆伝書を見れば、「浮舟」口伝、「松影」口伝といった具合で、全ての技は、師匠から弟子に口伝の形で伝えられています。近世の剣豪山岡鉄舟の道場春風館の免許皆伝は7日7夜、僅かな不浄の休憩と、一滴の粥を啜るだけで何百人もの精鋭と立ち合いをし、文字通り生き残ったものが得られたとのことです。つまり精魂つきたところ、理外の理で無意識に行う動作の中に剣の妙が生まれるということでしょう。

剣の道でさえそうなのですから、信心の道は尚のことです。理屈ばかり言っていてうまくいく道理がありません。

世間で苦しんでいる人の中には、自分よりはるかに賢い人が大勢います。つまり人の力だけでは幸福を永久にまもり通すことができない証拠の1つでもある訳ですから、小我をたてず、参詣に口唱に励みましょう。  (前進 昭和58年2月号より)

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