キース・ジャレット 「Over the Rainbow」

今日は、1日お寺から出れないので、境内の掃除や炭焼きの実験でもしようと思っていたのですが、この雨ではちょっと外の作業はできません。仕方がないので大好きなキース・ジャレットの音楽でも聴きながら、御法門の作成やたまっている事務仕事を片付けようと思います。合掌


貧しい供え物

今回は、仏教説話の中より「貧しい供え物」というお話をご紹介いたします。以下…

昔、バーラーナシーの 都に近い村では、それぞれの木に宿っている樹の神を敬い拝むというならわしがありました。祭りの日が来ると、村人たちはそれぞれ自分の拝んでいる樹の神に様々な供え物をしました。

その村に 一人の貧しい男がいました。この男も そのならわしに従って、自分の拝んでいる一本の木の前へやって来ました。 

ほかの人々は、花の飾りや においのいいお香、それに おいしい食べ物などを たくさん供えていましたが。しかし、貧しい男にはそんなものはありません。男が供えようと持ってきたのは、粗末な菓子と、ヤシの器に入れた一杯の水だけだったのです。

男は 木の前に立って考えました。
「神さまは、このうえもないおいしいごちそうをいつも食べていらっしゃる。わたしが持ってきたこんな粗末なお菓子など、きっと食べてくださらないに違いない。このお菓子は 粗末とはいえ、わたしにとっては大切なものだから、ここへお供えしておくよりも、わたしがいただいた方がいいかもしれない」

男は、ちょっとしょんぼりしながら菓子と水を持って立ち去ろうとしました。
その時、男を 後ろから呼び止める者がありました。

「男よ、ちょっと待て。」

男が驚いて振り返ると、樹の神が姿を現して呼びかけているではありませんか。

「もどってきなさい。お前は何をそんなに卑屈になっているのだ。」

樹の神は、男に向かって優しくほほ笑んでいました。

「なにも恥じることはない。もしお前が長者であれば、りっぱなお供えをすることができる。しかし、お前は貧しいのだ。貧しいお前がありったけのお金を使い、そして心からの供え物を持ってここへ来てくれた。私はそれだけでもうれしい。それなのに、それを持って帰るとはどうしたことだ。お前にとってのごちそうは、わたしにとってもごちそうなのだ。」

男は 申しわけのないことをしてしまったと後悔して、菓子と水を供え直しました。すると、樹神はそれをおいしそうに食べながら男に尋ねました。

「男よ、お前は何を願ってわたしを拝むのだ。その願いを述べてみなさい。」

「わたしは貧乏でございます。ですから、あなたのお助けによって、今のこの貧しい境遇から抜け出したいと拝んでいるのでございます。」

「 分かった。お前は貧しいにもかかわらず、真心をもってわたしに供養してくれた。その善業の功徳として、わたしはお前にいいことを教えよう。この木の周りの土の中には、お金や宝の詰まったつぼがたくさん埋めてある。お前はこのことを王に申し上げ、掘り出したつぼをお城に積み上げるのだ。王はお前の行いに感謝し、必ずお金を扱う役人にとり立ててくださるだろう。」

そう言い終わると、樹の神はすっと木の中へ姿を消してしまいました。正直者の男は、樹神から聞いたとおりを王に伝えました。王は男と家来たちに木の周りを掘らせ、金銀財宝の詰まったつぼを城へ運びました。そして王は男に感謝して言った。

「独り占めしても、だれにも分らないものを ・・・・・。」

王の言葉を聞いて、男は答えました。 

「神さまが ご覧になっていらっしゃいますから。」

王は男の正直さに感心して、満足気に言いました。 

「お前を、今掘り出したこの金銀財宝を管理する役人にしよう。」

「ありがとうございます。一生懸命務めます。」

男は喜んで引き受けました。そして、それからは豊かで幸せな日々を送ったということであります。


味噌作り終了。感謝感謝

去る24日、お寺で味噌を30キロ仕込みました。麹を扱って60年のプロに教えていただいたレシピを、備忘録も兼ねてアップしておきましょう。名倉さん、本当にありがとうございました。合掌

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①前日の夕方、6升の大豆をよく洗い水に浸す。

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②当日の朝7時、鍋に火を入れる。丁寧にアクを取りながら約4時間煮込む。

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③大豆を煮込んでいる間、6升の麹をほぐし約3・5キロの塩としっかり混ぜ合わせる。
④大豆が煮えたら、約4時間かけてゆっくり蒸らす。

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⑤厚手のビニール袋に大豆を入れて、足で踏みしっかりと潰していく。

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⑥潰した大豆と塩切りした麹をまんべんなく合わせる。その際に大豆を煮た時の煮汁を少し入れて、ハンバーグの生地ぐらいの硬さに調節する。

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⑦保存する樽の中にビニール袋を入れ、その中に混ぜ合わせた味噌(の元)を団子状に丸め、空気が入らないように投げ入れていく。
⑧一晩その状態で置いておき、翌日ビニールの上を縛って熟成させる。


お寺で味噌作りします

急な話で恐縮ですが、明後日の24日、お寺で30キロの味噌を仕込むことになりました。
2月8日に行われた「麹職人の甘酒とお話の会」でも講師をして下さった…当山信徒の名倉さんのご指導をいただく予定になっています。

つきましては…せっかくプロの麹職人の方に指導をいただける大チャンス。私達だけ教えてもらうのは勿体ないので、もし味噌作りを見学してみたい。あるいは体験してみたいと思われる方は、当日ぜひお寺においでくださいませ。一緒にわいわいやりながら遊びましょう。
いちおう朝の8時頃から大豆を煮込み始め、大体昼過ぎまでの行程になると思われます。

もし、参加されたいと思う方は、この記事のコメント欄かメールフォームにメッセージをよろしくお願いいたします。合掌

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マヨネーズの瓶と二杯のコーヒー

本来であれば…日曜日に行われた門祖会の様子をアップしたいところなのですが、まだ写真が私の手元に届いていないものですから(汗)、今回もネットで拾ったなかなか良い話をご紹介いたします。

 

「マヨネーズの瓶と二杯のコーヒー」

哲学の授業が始まる前に、1人の教授があるものを持って教壇に立った。

授業が始まると、彼は黙ったまま、非常に大きな空のマヨネーズの瓶(海外でマヨネーズは瓶で売られていることが多い)を手に取り、その中に「ゴルフボール」を一杯になるまで詰め込みました。
そして彼は生徒たちに「この瓶は一杯ですか?」と尋ねました。
生徒たちは「一杯だ」と答えました。

マヨネーズの瓶

次に教授は「小石」の入った箱を取り出し、それらを瓶に注ぎ込みました。彼は瓶を軽く振り、小石はゴルフボールの間にある隙間を埋めていきました。

彼はまた生徒たちに「この瓶は一杯ですか?」と尋ねました。
生徒たちは再び「一杯だ」と答えました。

次に教授は「砂」の入った箱を取り出し、それらを瓶へ注ぎ込みました。その砂は予想通り、ビンの中のすき間を埋めました。

彼は再び生徒たちに「この瓶は一杯ですか?」と尋ね、学生たちはみんな「はい」と答えました。

次に教授はテーブルの下から「2つのカップに入ったコーヒー」を取りだし、砂と砂のすき間を埋めるようにそのコーヒーを瓶へ注ぎ込んでいきました。生徒たちは笑いました。

「さて」
教授のこの言葉に、生徒たちの笑いが止まりました。

「この瓶は、あなたの「人生」を表していることに気がついて欲しい。ゴルフボールは人生の中で最も大切なもの。あなたの家族、子ども、健康、友人、情熱など重要なものを表しています。たとえ他のすべてを失っても、これら大切なものが残れば、あなたの人生は満ち足りたものであるでしょう」

「小石はそのほかの物、たとえば、仕事、家、車など。」

「砂は、他の小さなものを表します。もし、あなたが初めに「砂」で瓶をいっぱいにしてしまったら、小石やゴルフボールを入れるスペースがなくなってしまいます。これは人生と同じで、もしあなたが些細なことに、全ての時間とエネルギーを費やしてしまったら、あなたは決して大切なものを手にすることができません」

「あなたの人生における大切なものに気をかけてください。子どもと遊びなさい。健康診断を受けなさい。パートナーと食事に行きなさい。掃除や物の片付けなんかは、いつでもできるのだから」

「人生におけるあなたの「ゴルフボール」を大切にしなさい。優先順位をつけるのです。ほかのものは全て単なる「砂」です」

すると1人の生徒が手を挙げ、「では、コーヒーは何を表しているのですか?」と質問をしました。

教授は笑いながら「よくぞ聞いてくれた」と言い、
「これは人生がどんなに手一杯に見えても “友達と一緒にコーヒーを楽しむ時間はいつもある” ということを表しています。」と答えました。


「あはがり」 朝崎郁恵

たまには…音楽なんぞもちょこっとご紹介してみましょう。
これは奄美の朝崎郁恵さんの歌で「あはがり」という曲。
なんとも切なくも優しい歌声で、また…歌詞も素晴らしいです。良かったらお聴きください。

あはがり

あれい うきよかりじまに いてぃがでぇぃむ ぃらりゅむぇ
(この世は神様からいただいた仮の世 いつまでもとどまって居られましょうか)

なさけ あれぃよ かなやでぃくぬよばぁょ うされぇぃがでぇ
(命を敬い生きていきなさい この世の生をなし終えるまで)

いりゃぁみぐるま めぐりまぁあわそ 
(時はめぐる 水車のように だからまためぐり会える)

てぃきのあはがりしやでぇ たましゃぁおどぅてぇ たましゃぁおどぅてぇ
(月のあかりの下で 人々は再び魂が踊り明かす)

いきしゃん くどぅあてぃむ てんとやだいちや
(どのようなことがあろうとも 天と大地の間)

てぃきのあはがりしやでぇ たましゃぁおどぅてぃ たましゃぁおどぅてぇ
(月のあかりの下で 人々は再び魂が踊り明かす)


馬車の話

今回は、仏教説話の中より「馬車の話」をご紹介することにいたしましょう。

ある国の王様が馬車で外出をしようとしたところ、ピカピカだった馬車はボロボロに壊れ、きれいな皮の飾りもビリビリに裂かれていました。

王様「なんということだ!一体誰のしわざだ!」

王様はかんしゃくを起こして大声でどなりました。大臣がおそるおそる言いました。

大臣「王様、皮ひもにかみついたあとがあります。それから犬の毛が…。」

大臣の言葉が終わらないうちに、王様はカンカンになって命令しました。

王様「ええい、がまんならん。 町中の犬を見つけしだい殺してしまえ!」

さあ大変です。町中で犬の捕獲がはじまりました。これを知った犬の王様は、この大事件を解決するために急いでお城へかけつけました。

犬の王様「王様の馬車を犬が台無しにしてしまったという話ですが、それを実際にごらんになったのですか?」

王様「いや、見てはいないが、咬んだ後と犬の毛があった。それがなによりの証拠じゃ。」

犬の王様「それでは、町中の犬が犯人なのですか?」王様「いや、そうではないが、どの犬なのかわからないからだ。犯人さえわかれば、命令をやめてもかまわん。」

犬の王様「それではここに王様の犬を連れてきてください。そしてミルクにクシャの葉をまぜて飲ませてください。」

家来が言われた通りにしました。2ひきの子犬は間もなく気分が悪くなって、食べたものをはき出しました。すると、その中には馬車の皮ひものかけらがありました。王様は、自分の犬が犯人だと知ってびっくりしました。そこで王様は、犬の王様に尋ねました。

王様「わしの犬が犯人だと、どうしてすぐにわかったのだ?」

犬の王様「理由はかんたんです。お城には高い塀がめぐらされています。だったらお城の中の犬にしか、あんなことはできないでしょう。」

王様「なるほど。しかし、わしはなぜそのことに気がつかなかった?」

犬の王様「それは、王様が腹を立てていたからです。そんな時には目の前にあるものさえ見えません。そればかりか、ふつうならできないようなおそろしいことも平気でやってしまうのです。王様が罪もない町の犬をみな殺しにしようとしたみたいに。」

王様「う~ん、悪いことをしてしまった。わしはかんしゃく持ちでな。自分でも治るといいとおもうのだが、どうしたものだろう…。」

犬の王様「静かに心を落ち着けて、自分をふりかえってみるのです。そうすれば、今まで見えなかったものが見えてくるでしょう。それを大切にして、考え深い人になるように努めることです…。」

と…このようなお話ですがいかがでしょうか?もうおわかりのように、このお話はうかつに腹を立てることの愚かさを戒めたものです。私達もこのようなお話を教訓として、恥ずかしい行いは慎みたいものですね。


感動! ゴルゴ松本の「少年院での魂の授業」

こんな動画を見つけました。芸人のゴルゴ松本さんという方が、少年院の子供達を相手に行った授業の様子を放映したテレビ番組です。動画はいつまで見られるかわかりませんので、下に文字起こしをさせていただきました。ぜひご覧いただきたいと思います。合掌

成功する人と失敗する人。でも失敗は成功の元。辛い事があったら愚痴をこぼす。マイナスの事を言って弱音を吐く。吐くという字は口にプラス・マイナスと書く。これは、いい事も悪い事もどんどん言葉に出せということ。やな事は吐き出しちゃっていい。でもそこから成功する人・夢を実現させる人は、少しずつ変化をしていく。弱音は吐かなくなっていく。ポジティブシンキングでいい事だけを言っていく。自分の夢だけを…俺はこうする、こうなるんだ、ああなるんだという事を言っていたら、そのために必要なものが近づいてくる。だからマイナスの事を吐かなくなる。少しずつマイナスの事を取っていくと、「吐」という字は「叶」という字に変わる。
夢という字。

自分が想像をしていたりしていたことより、まだちょっと足りないなと思ったら、軌道修正をしながら、最終的な目標は変えない。紆余曲折しながらでも行けばいいだけの話。で、これは危険だと思ったら回避する。夢は叶うんだから、危険だと思ったら逃げていい。
「逃」という字は“しんにょう”に兆し。そしてその“しんにょう”を手偏に変えれば「挑」という字。挑戦の挑。

「幸せ」の反対は「辛い」。字が似ている。「幸」から一本棒を取ったら「辛」。幸せな状態でも何かが欠けたら辛くなる。「苦」「困」「災」という字に「難」を加えると「苦難」「困難」「災難」。こういうことが起こると不幸だと考えてしまう。「難」が無い人生を「無難」という。だが無難な人生なんてありえない。だから、「難」が有る人生。「有」「難」と書いて「有難」い。「苦難」「困難」「災難」、そういう事は普通はイヤ。でもそういう状態の事を「有難」しという。昔の人…私達の先祖はこういう言葉を作ったんだからすごい。

「命」という字は、“人を一叩き”と書く。これは心臓の事を意味している。そして、この「命」というのは、みんなを命がけで産んでくれたお母さんが一人いる。人間は全て女性から産まれる。全ての始まりは女。「女」が土「台」で“始まる”という字。だから女の人を粗末にしては絶対だめ。女の人は守ってやり優しくしてやり尊敬しなければダメ。君たちを産んでくれたお母さんは、間違いなく命をかけて産んでいる。産んだはいいが自分の子どもを見る前に死んでしまったお母さんもたくさんいる。そういう命がけの行為が出産。そういう事を人間はずっとくり返してきた。ここからはみんなが命を繋げていく。だからここで勉強して外に出たら、思いっきり命を拡げていってください。


映画『かみさまとのやくそく ~胎内記憶を語る子どもたち~』予告編

面白い動画を見つけました。「胎内記憶」と呼ばれる現象についての調査を映画化した「映画『かみさまとのやくそく ~胎内記憶を語る子どもたち~』という作品の予告編です。これは見てみたいな~。

ちなみに…少し調べてみましたが、この「胎内記憶」という事については、100年以上も前から世界中で報告されているんだそうです。

「胎内記憶」については、この研究の第一人者である産婦人科の池川明先生という方が行なった調査によると、赤ちゃんの3人に1人が「胎内記憶」を持っているのだそうで、それは言葉が話せるようになって間もない、2~4才の子に多いのだそうです。

そして…大抵の子どもは、「自分が生まれてお母さんが幸せ。それが自分にとっての幸せ」と話すのだとか。また、動画でも子どもがしゃべっていますが、産まれる前に“仏様”のような存在を知覚している子が多いのは不思議です。

とにかく、3分少々の動画ですので、ぜひご覧いただきたいと思います。合掌


麹職人の甘酒とお話会無事に終わりました!

去る2月8日、当山の御供養場を会場として、トランジションタウン浜松の発酵部主催「麹職人の甘酒とお話会」が行われました。参加者は21名で、和気藹々とした雰囲気の中…とても有意義な催しとなりました。トランジションのホームページに報告文を載せてくださいましたので、こちらの方にも転載をさせていただきます。合掌

甘酒ークショップ

麹職人の甘酒とお話会が無事に終わりました。

今回は正晨寺さんのご供養場(炊事場)をお借りして、プロの甘酒作りを見せていただきました。

講師の名倉麹店さん(今は廃業された)ご夫婦が、秘伝の技を惜しげもなく教えてくださり

参加された方は熱心なメモをとっていました。浜松にいくつかあった麹屋も今では3軒しか残っていないそうです。

温度計のいらない麹に適した温度のはかり方、通称「手引きの温度」という物を実際にやってみました。

そして、何十年も使っているという樫の木の「櫂(カイ)」という道具をつかい、

甘酒のもとを丁寧につぶす作業を行いました。

実際にやってみると思った以上に力がいる作業で、櫂はとてもそれに適した形の道具であることがよくわかり、

参加者の何名かは「欲しいー!」ともらしていました。

名倉さん

実演の合間の奥様の軽快なトークは本当に楽しくて

年末の一番忙しい時期に起きた「甘酒すっぱい事件」のお話は感動しました。

また、参加者からの素朴な疑問 「納豆はたべてもいいのか?」「お米の水分量はどれくらいか?」

といったものから、いい麹の見分け方、おいしい味噌作りの秘訣など、多くの事を教えていただくことができました。

最後に名倉さんが温めてくれた試食の甘酒は、塩加減や甘さが絶妙でとても美味しくいただきました。

今回仕込んだ甘酒はまとめて1個所において一部保温と換気をしながら熟成をするとのことです。

ある程度まとまった量を作ればとくに加温をすることがないそうです。

名倉麹店さん どうもありがとうございました。

発酵部 齋藤