自動車御本尊が守ってくださった御利益

だいぶ古い話で恐縮ですが…2年ほど前に起こった不思議な出来事をご披露します。

私は、昨年まで東京の乗泉寺でご奉公をさせていただいていたのですが、その頃は新座別院の受持を頂戴していて、自宅と別院をいったりきたりの生活をしていました。その日もいつものように早朝の5時過ぎに、新座別院に向かって車を走らせていました。世田谷の教職舎から新座までの道は、比較的に道も広く走りやすいところが多いのですが、別院のすぐ近くに一カ所だけ薄暗く…少々気味の悪い場所があります。

そこはちょうどT字路になっていて、突き当たりを右折して急坂を登るような格好になっているのですが、何かの慰霊碑のようなものが建ってるところを見ると、昔なんらかの事故か事件があった場所なのかもしれません。

突き当たりの手前には一時停止の標識があります。自分で言うのも何ですが、私は常に安全運転を心がけていますので、きちんと車を止めてカーブミラーを確認しました。異常もなさそうなので、いざ右折をしようと車を再発車させようとした瞬間…頭の上からボトッと何かが落ちてきて、それが私の足に当たったのです。

一瞬何事かと思いましたが、もう別院の近くまで来ていますし(朝は時間も貴重)、着いてからゆっくり確認をしようと思って、アクセルを踏んで車を発車させたのですが、その時にふと感じたイヤな予感!やっぱり今確認をしておこうとブレーキをかけたその時…なんと無灯火の自転車が急坂を猛スピードで下りてきて、私のすぐ目の前を横切っていったのです。

ゾーッと鳥肌が立って身震いがしました。もし車を止めていなかったら、おそらく自転車は私の車の横っ腹に思い切り激突して大事故になっていたに違いありません。酔っぱらい運転だったのか?それともブレーキが効かなかったのか?それはわかりませんが…車のライトは明らかに見えていたはずなのに、ちょっと考えられない状況でした。

少しの間…呆然としていましたが、気を取り直して足下に落ちたものを拾おうと思って車内灯をつけた瞬間、再びの鳥肌…なんと、上から落ちてきたのは、日よけのバイザーのところにご安置させて頂いていた自動車御本尊だったのです。

その車に乗り替えて5年ほど。今まで一度もこんななことはありませんでしたから、何とも不思議な出来事です。事実、それからも一度も落ちてきたことはありません。これは…御本尊が「危ないよ」と注意を促してくださったとしか思えないのでした。

大きな御利益を頂戴しました。そして、あらためて御宝前のお守りの有難さに随喜をさせていただきました。別院に着いて、さっそく災難除滅と交通安全の御礼を上げたことは言うまでもありません。そして、それ以来…なお一層の安全運転につとめています。

ありがとうございました。合掌


自然農法家 福岡正信氏

今回は、私がかなり大きな影響を受けている自然農法家の福岡正信さんという方をご紹介しようと思います。生前…縁あって一度お会いしたことがあるのですが、ものすごいオーラを持った方でした。
動画はいつか削除されるかもしれないので、いちおう内容を書き起こしておきます。

“耕さない、雑草を抜かない、農薬も化学肥料も与えない”
福岡正信さんは自然農法を実践し、世界中の農業者に大きな影響を与えました。

福岡「いかにしたら昼寝ができる時間が多いか、それが最大のモットー。ああする こうするじゃなくて、何もしないようにするには、昼寝するにはどうしたらいいか」

福岡さんは、大正2年に愛媛県伊予市に生まれました。実家は代々続く名家で、父親は村長をつとめたこともあります。現在の岐阜大学で植物病理学を学び、卒業後は横浜の税関で植物の検疫の仕事につき、みかんの病気を研究しました。転機をむかえたのは25歳の時、急性肺炎にかかり死の淵を彷徨ったことが福岡さんの価値観を大きく変えました。

福岡「人間の知恵と力はまったく役に立ってないことに、25歳の春気がついた。自分の生き方は自然農法をやって、百姓になって生きていくだけだと、食って寝て生きていればいいという結論が出てしまった」

福岡さんは研究者のキャリアを捨て、故郷の伊予市で自然農法を実践します。

福岡「科学が無用…無能というか、人間の一切の科学的知識が無駄に終わるということを証明しようとしている。自分が米を作ったりしているのもそう。何もしなきゃ結構できるじゃないか。やればやるだけ自然から離れて、人間の知恵でやるほど難しくなる」

福岡さんの米作りは常識を覆すものでした。水田に苗を植えるのではなく、種籾を土の上に直に蒔きます。化学肥料や農薬は一切使わず、代わりにわらを蒔きます。そうすることで土地が肥え、雑草を抑えてくれるといいます。
さらにユニークなのが、稲を刈る前に次に育てる麦を蒔くこと。

福岡「稲があるうちに麦をまいておけば、稲刈りするときに麦がなっている。稲があるうちに麦が生えているから、稲刈りした後で草が生える余地が無い」

この常識破りの農法で、福岡さんは他の農家に勝るとも劣らない収量を上げ、次第に世間の注目を浴びるようになります。

福岡「今の農法というのは、人間の知恵でやった農法。弥生時代、その前の縄文時代は人間の知恵じゃなくて、人間も自然の一員として生活していたことが、そのまま農業の方に及ぼす。人間の知恵を否定、科学を否定し、文明を否定したら、残るのは自然農法。原点に帰った自然農法しか残らない」

62歳の時、福岡さんは自然農法の経験を本にまとめました。

「革命というものは、このわら一本からでもおこせる。このわらは軽くて小さい。だが人びとはこのわらの重さを知らない。このわらの真価を多くの人びとが知れば、人間革命がおこり国家社会を動かす力となる」(わら一本の革命より)

わら一本の革命は、世界各国に翻訳され、福岡さんの名は広く知られるようになります。国籍を問わず多くの若者が福岡さんの元に集まり、共同生活を送りながら自然農法を学びました。

福岡「日本の農村青年は、言っては悪いけど…終戦後、近代化とかなんとかということで、徹底的にいわゆる企業農法みたいなものをたたき込まれている。うちへ来るのは、むしろ都会でね、コンピューターやった、電気やっていた、自動車乗っていたというような人が、先をはじいてみたら大体見通しがついたと来るような人の方が多い。畑違いの人で、絶望したというか都会文明から抜け出そうとするようなのが多い」

福岡さんの自然農法、その集大成といえるのが「粘土団子」です。土にさまざまな種類の種をまぜ、水を加えて練り込みます。果樹や野菜だけでなくクローバーや薬草の種も入っています。この粘土団子を農園内どこにでも蒔いて回ります。

福岡「これをこうしてまいて、するとスズメが食わない、ネズミが食わない。ひと雨降ると水分で発芽して根がおりる。この粘土団子でまけば耕す必要はない」

粘土団子を蒔いた農園です。団子にふくまれていたたくさんの種の中から、その場所と季節に合った作物が、人間の力を借りなくてもすくすく育つのだと、福岡さんは言います。

福岡「たくさんのものをまいておけば、必ずどれかが成功しやすい。種類を限定してまくと、ここは大根がよかろう、ここはカボチャがよかろうなんて、区別してまくとかえって大きな発見ができない。こんな所にゴボウができるとは思わなかった所にできるとか、たくさんまいておけば教えてくれる、自然が」

粘土団子は、世界中で注目を集めました。特に熱い関心を寄せたのが、食料不足や土地の砂漠化に悩むアジア・アフリカの発展途上国でした。福岡さんはしばしば現地に招かれ、粘土団子を使い土地の緑化や食料の増産に力をつくしました。その功績が認められ、アジアのノーベル賞といわれる「マグサイサイ賞」を受賞します。

福岡「まあ、この年になりまして40~50年、自然農法をやってきたけれど、結局何をやっていたかというと、考えてみれば砂漠化防止の研究をしていたとも言える。砂漠地帯へ行ってみて、自分の自然農法が役立つか役立たないかを見てみたいというのが、ひとつの動機だったんでしょうかね」

世間の喧噪を逃れ、自給自足の生活を送った福岡正信さん。自然が主役という信念は、95歳で亡くなるまで、生涯揺るぎませんでした。

福岡「何もしないのが最高の農法になる。何もしない。人間の知恵を否定するし、モノに価値があるんじゃないと、人間が生産しているんじゃない。自然が作っているんだと、これは。草一本人間が作っているんじゃない。自然が作っているんだ」


本堂の省エネ対策 「火鉢」

夏は涼しく冷房の必要もない正晨寺の本堂ですが、うってかわって冬は寒く冷え込みが厳しく辛いのが難点です。朝のお看経の時には御乗台(御導師の席)の横にファンヒーター、脇座(私の席)の横に電気ストーブ、そして後ろの信者席にストーブを3台つけて、それでようやく寒さをしのげるといった感じで、毎月の灯油代もなかなか馬鹿になりません。

そこで、一計を案じて…本堂で炭を焚いてみようという話になりました。風通しの良い建物は一酸化炭素中毒の心配もありませんし(笑)、先先代の御導師の使っていらした古い大きな火鉢があったからです♪それがこちら↓

火鉢

いや~、これがなかなかあたたかく気持ちが良いのです。これでストーブを一台減らすことができました。お参詣の方にもおおむね好評のようで、古い人達(失礼!)は懐かしいと喜んでくださり、若い人達も珍しいと喜んでくださっています。

火鉢で団らん

今は安い炭を探して購入していますが、ゆくゆくは境内で竹炭を焼いて燃料も自給するつもりでいますので、そうなれば雰囲気も良く燃料代の節約にもなって一石二鳥ですよね♪


福岡日雙上人の御法門。「現証の御利益あればおのづから 人の信ずる妙法の五字」

今回は、神戸「香風寺」のご住職の福岡日雙上人の御法門(法話)をご紹介いたします。
海外弘通におけるエピソードなども交えつつ、「現証の御利益あればおのづから 人の信ずる妙法の五字」という御教歌を拝まれています。とても素晴らしい御法門なので、ぜひご聴聞いただきたいと思います。ありがとうございます。合掌


当山信徒の松永氏が作るお戒壇

今回は、当山の信徒で家具工房「芽生」を営む松永氏の作るお戒壇をご紹介させていただきます。
法灯相続をして、家に御法様をお祀りしたいのだが、親のお戒壇は大きすぎて到底お守りできない。あるいは…彫刻や飾りのデザインが洋風の部屋に合わない。そのような理由でお祀りを躊躇されている方にピッタリのシンプルなお戒壇です。

お戒壇

クリの無垢材を使用して、家具作りの伝統技法を用いて頑丈に仕上げてあります。しかも素材はクリだけでなく、ヤマザクラ・ナラ・タモ・ウォールナットなどに変更することもでき、色も自分で選ぶことが出来るそうです。

さらに、ご希望のサイズに作ってもらえるので、部屋のスペースに合わせて無駄をなくすことができるのも素晴らしいです。その他にも、いろいろと細かく相談にのってもらえると思いますので、興味のおありの方は…詳しくは下記のサイトをご覧下さいませ。

家具工房「芽生」

日々、ありがたい佛立信心に励まれて、当山の静岡別院を熱心に護持してくださる松永氏を少しでも応援させていただきたく、このような記事を書かせていただきました。ありがとうございます。合掌


ラブレター

今回は、以前…乗泉寺のホームページに掲載をした自分の記事を転載しようと思います。本当は新しい記事もゆっくりと書きたいのですが、寒参詣中でアレコレと忙しく、あまり時間がないのです(苦笑)。悪しからず。
以下…

ナナオサカキ

 
ナナオサカキという詩人がいた。家を持たず、カネを稼がず、家庭も築かず、帰るふるさともなく、生涯のほとんどを旅して過ごした人である。
生前、何度か顔を合わせたことがあるが、非常におもしろいじいさんであった。
特に、3・11の東日本大震災と原発事故以降…彼の生き方と、その作品を思い出すことが多くなった。そんなわけで…今回は「ラブレター」という詩をご紹介してみたいと思う。私はこの詩が大好きなのです♪

ラブレター

半径 1mの円があれば
人は 座り 祈り 歌うよ

半径 10mの小屋があれば
雨のどか 夢まどか

半径 100mの平地があれば
人は 稲を植え 山羊を飼うよ

半径 1kmの谷があれば
薪と 水と 山菜と 紅天狗茸

半径 10kmの森があれば
狸 鷹 蝮 ルリタテハが来て遊ぶ

半径 100km
みすず刈る 信濃の国に 人住むとかや

半径 1000km
夏には歩く サンゴの海
冬は 流氷のオホーツク

半径 1万km
地球のどこかを 歩いているよ

半径 10万km
流星の海を 泳いでいるよ

半径 100万km
菜の花や 月は東に 日は西に

半径 100億km
太陽系マンダラを 昨日のように通りすぎ

半径 1万光年
銀河系宇宙は 春の花 いまさかりなり

半径 100万光年
アンドロメダ星雲は 桜吹雪に溶けてゆく

半径 100億光年
時間と 空間と すべての思い 燃えつきるところ   
そこで また 人は 座り 祈り 歌うよ
人は 座り 祈り 歌うよ

 


映画「ダムネーション」のお知らせ

今回は、私の友人達が企画している映画のお知らせをさせていただきます。
これは、不要になったダムを取り壊し、本来の川の姿に返していく、アメリカのドキュメンタリー映画なのですが、田町にあるシネマ・イーラという映画館で、1月11日(日)の13:45~15:15までの上映です。

私は、残念ながら…その日は静岡までご奉公に行く日なので見ることができないのですが、興味のおありの方はぜひ足をお運びください。合掌

【詳細】
前売り 1300円 当日 1500円
前売り販売店
シネマ・イーラ 中区田町315-34 笠井屋ビル3F
すいーとまむ 浜北区本沢合113-2
あさのは屋  北区初生町379-4
C-cafe     中区富塚2114-5
オーガニックたま屋 中区鴨江4-11-30
加藤醤油   中区寺島町43-3
酒&FOODかとう 西区神ヶ谷7873


「人生は有限」がよくわかる動画

この動画は面白いです。私達の1日をゼリービーンズ(お菓子)一粒に例えて、平均寿命を79歳として2万8835粒を用意します。
そうすると、睡眠には8477粒、仕事には3202粒、食事などの活動には1635粒が消費されることになります。さらに、1099粒が車での移動時間となり、2676粒がテレビを見る時間に割り当てられ、1576粒が家事のために費やされるわけです。

このようにして一生の時間が各活動に割り振られていき、すべてが引かれると、残りのゼリービーンズはわずか3000粒足らずとなるのですが、このわずかな粒が、我々が自由に使うことができる、残された時間ということになるわけですね。こうして見ると、時間がいかに貴重であるかが分かります。

なかなか良い作品なので、お時間があったらご覧くださいね。


人間の欲を全て写し出した「世界一笑えない」3分間のアニメ

ロンドンの絵本作家がつくったという…なんとも風刺的な作品をご紹介いたします。
人類が誕生してから、生産をしては消費する。消費をしてはまた生産する。そして限りのない欲を満たすために自然を破壊してゴミを垂れ流す。そういう愚かな様子をたった3分で表現をした動画です。ぜひご覧くださいませ。


人は死なない 東大救命医独自の死生観

とても面白い動画を見つけたので、皆様にぜひご紹介したいと思います。
これは、東大病院救急部・集中治療部部長の矢作直樹医師という方が、テレビのインタビューに答えて、「人は死なない。魂は永遠だ」という独自の死生観を語っているものです。
東大・臨床医・救急という…ある意味我々の宗教の世界と対極の分野の方が、大勢の人の臨終に立ち会った結果、このような考え方を持つに至ったという点に、私は非常に興味をそそられました。
おそらく動画はしばらくすると削除されると思うので、矢作医師の言葉だけ書き起こししてみました。できればその前に動画をご覧になってほしいです。
以下は転載です。

東大病院救急部・集中治療部部長 矢作直樹医師(57)。2年前に発表した著書が口コミで広がり、いま大きな話題となっている。そのタイトルは「人は死なない」。

矢作「肉体は滅んでも、我々の本当の体…魂はずっと続くので、魂として見ると永続するので、そういう意味では人は死なない…と」

著書「人は死なない」から

古代から日本人は、人は死ぬとその霊は肉体から離れてあの世に行くと考えていました。昔の日本人はみな直感的に「人の死後の存続」を信じていたのだと思います。

矢作「結構…若い人から私くらいの年齢まで、そういう経験をしている人っているんです。医療従事者だと…。理屈ではなくて感覚なんですよね。『あ、いるな』って感じで…。例えば、末期がんで助かりません、最期亡くなる時とか、亡くなる直前ぐらいに、はっと驚いたような顔をするんですよ。それが“お迎え現象”と呼ばれているものなんですけど…。顔がゆるむという言い方が正確かもしれません。それまで苦しそうな顔をしていたのが急にきれいな顔になるというか、おそらくお迎えに来られた人とお話をされているのではと思います」

矢作「最近、昔と違ってだんだん核家族化になって、人の死に立ち会わない人が多くなりましたでしょ。そうすると病院で身内の方を亡くされて、昔だったらこんなに嘆き悲しまないのにな…という人が増えてきたような気がする。いわゆる“死ぬ”ということを理解してほしいんですけど、病院に入ってくると“死なない”と思っているご家族が結構いるんですよ。」

矢作「我々から見たら分からないことだらけですよね。分からないと言ってるとみんな不安になるから、分かったような顔をしてやっているだけですもんね。逆にいうと分からないので一生懸命やらないといけない」

矢作「(冬の北アルプスで急斜面から滑落して、命がけでようやく下山した時)吹雪なのでヒューっと風の音だけが聞こえていたんですけれど、山を眺めていたら頭の中で“もう来るな”と大きな音が聞こえて、最初はこだまかなと思ったんですね。あれ?何やっていたんだろう自分はと思って、普段感じている…あるいは見ているのとは違う世界があるんだなと、他の方でちゃんとやりなさいというメッセージなのかなと」

矢作「(医療の役割は)寿命を全うすることをお手伝いするくらいでしょうかね。もちろんできることには限りがあるのですが、そういうお手伝いをしているのではという気がします」

矢作「(科学で解明できないことを語るのは?という質問に対して)たぶん科学にはなっていないけれど、科学の入り口ですよね。当然、電気とかは目に見えないわけですけど、科学になったわけですよね。それともう一つは『私は誰それが好きです』という時に、科学的に証明できませんよね。だから科学なんてひとつの方便でしかないと思うんですよ。」

矢作「(人は死んだらどこへ行くか?という質問に対して) ここでしょうね。つまり亡くなっても世界は重なっていて、カタチのない世界というのはどこにあってもいい。距離的な言い方が正確かどうかは分からないけれども、ここにあると…。だから昔の人が言っていた“里山で見ていますよ”って調子なんだと思いますけれどね。」

矢作「(死とは)お疲れさまという…とりあえずのこの世でのゴールだと思っています。例えばマラソンをするとしますよね。ゴールのないマラソンだったら大変ですよね。普通に生きていればここよりももっといいところに行けるので、必ず良い人生が送れた後にはより良い次の人生が待っていると思います」