開導百回遠諱記念映画 佛立開導日扇聖人伝 風の門

当宗の開祖であられる佛立開導日扇聖人の百回遠諱の折に、記念として宗門によって作られた映画 「佛立開導日扇聖人伝 風の門」がアップされておりましたので、ここにも転載をさせていただきます。1時間ほどの映画ですが…お時間のある時にでもぜひご覧くださいませ。合掌

 

 

長松日扇聖人のご略歴(宗門のホームページより転載)

日扇聖人〔長松清風 1817ー1890〕は、江戸末期の文化14年(1817)京都市蛸薬師通室町の商家、大路家にご誕生されました。天性文芸の才に優れた日扇聖人は、9歳のときに『平安人物誌(今の芸術年鑑)』の「書」と「画」の部に名を連ね、江戸に遊学しては松崎慊堂の晩年の門人となり、30前の若さでひとかどの町人学者となって、歌人、書家としても一家を成されます。将来は一流の書家か国学者になる道を約束された日扇聖人でしたが、母の死と自らの大病をきっかけに仏教各派の研究をされたのち、京都の本能寺で書画をかかれたのがご縁で、法華経本門八品の御題目の信仰に目覚められます。

ただ当時の仏教界は、幕府によるキリシタン弾圧のための檀家制度に長く浸かり、布教を忘れて死者の回向を専らとする怠惰な日々を貪っていました。本来の仏教の教えである「生きている人のための信仰」を取り戻すべく、日扇聖人は31歳の時に淡路の法華宗隆泉寺で出家得度されます。しかし、停滞し無気力に陥っていた法華宗や当時の仏教界全体にとって、明治の仏教改革を目指し、民衆の救済に身をささげようと求道の志に燃える日扇聖人の存在は鬱陶しいもので、様々な弾圧にかかります。それでも日扇聖人は、久遠本仏の使者、日蓮、日隆の正統をつぐ後継者という誇り高き自負心をもって、新しい宗派を立ち上げられます。日蓮聖人が「私はどの宗の元祖でもなければ、開祖でもない」明言されているように、開祖や教祖などという人が勝手に立てた”人立宗”ではなく、「仏さまが立てた宗」である『本門佛立宗(講)』を、満40歳の安政4年1月12日におこされました。
以来、難しいおしえの内容を平易な和歌に詠み込んだ三千余首の「御教歌(ごきょうか)」を作成して、まだ読み書きができない人も多い時代の民衆に対し、日蓮聖人のおしえをわかりやすく説き続けられました。徹底した御題目の口唱行と、現証のご利益によって京阪神を中心に一大勢力を築きあげられ、明治23年7月17日、ご生涯の幕を閉じられます。
佛立宗では日扇聖人を「開導聖人」ともお呼びします。「開導」とは開発(かいほつ)教導の略で、門祖日隆聖人滅後430年余り、その法義・宗風がまさに絶えようとする時、本門佛立講を開らかれ、正しい信心の道へと我々をお導きくださった、日扇聖人を尊称する言葉です。

常識だけでは救われない

開導聖人ご教歌

「尊像をいきていますとおもはねば 信心するも無益也けり」

日夜にお給仕しているご尊像、ご本尊を生きてまします生身のみ仏と心から信じて敬える人が、真実のお守りのいただける人であるとお示しのご教歌です。

 

幕末の偉人、勝海舟は熱心な日蓮宗の信者として知られていましたが、ある時、門人にむかってうっかりと口をすべらせて、お祖師さまの竜の口の御法難は後生のつくり話らしいと言ったところ、門人が反発して

「先生は真心があれば、天も地も我に従うという信念の方ではないか。凡夫の一心ですら、桑の矢を岩につきさすという不思議な働きをする。ましてや、正法流布のため、名誉も命もいらないという大聖の一心によるところ、少々の光り物や波風が起こっても異とするに足りない。一切衆生のために身をささげている人を凡夫の小さな了見で批判するのは大間違いだ」

これにはさすがの海舟先生も一言もなかったとの事です。

この話のように、ご尊像やご本尊を凡夫の小さな了見で、木切れ紙きれのように見ることは、まことに浅はかなことです。私たちの知恵分別で全てのことが割り切れるのなら、この世に何の不幸もあるわけがないのですから、神仏の不可思議力を畏れ、妙のお守りをいただく様につとめなければなりません。(前進 昭和56年8月号)


年末の障子張り替えご奉公

年末の大事なご奉公である「障子張り替え」が無事に終わりました。
12月6日には、障子を外に運び出し、寒空の下バシャバシャと水をかけながら去年の障子紙を剥がし、糊のついたところをスポンジできれいに洗いました。寒空の下で水を使うので手は凍え大変でしたが、やはりきれいになるのは気持ち良いです♪

障子剥がし

続いて8日には、すっかり乾いた障子に新しい紙を貼りました。最後に霧吹きで満遍なく霧を拭き乾かして、ピンと張りが出た障子はやっぱり美しいです。ご奉公をしてくださった壮年会と婦人会の皆様に感謝です。ありがとうございました。合掌

障子貼り

障子貼り2


人間の欲を全て写し出した「世界一笑えない」3分間のアニメ

ロンドンの絵本作家がつくったという…なんとも風刺的な作品をご紹介いたします。
人類が誕生してから、生産をしては消費する。消費をしてはまた生産する。そして限りのない欲を満たすために自然を破壊してゴミを垂れ流す。そういう愚かな様子をたった3分で表現をした動画です。ぜひご覧くださいませ。


「ドラム缶を使って簡単に作る“炭焼アートのワークショップ”のお知らせ。」

「ドラム缶を使って簡単に作る“炭焼アートのワークショップ”のお知らせ。」

【概要】
プロのJAZZドラマーであり、引佐竹炭健康協会の理事を務める美和克弘さんを講師としてお招きし、ドラム缶を少し改造するだけの簡単な装置で、松ぼっくりや栗(イガ付き)などを炭にするアートを教えていただきます。

【詳細】
●日時:12月20日(土)午前10時〜午後4時頃まで。小雨決行  荒天中止
●会場:正晨寺(浜松市中区神田町1464)
http://www.sho-shinji.org
※駐車場あり
●参加費:1000円。材料費コミ。簡単な昼食付き。あとお土産として、自分達で焼いた(写真のような)炭をお持ち帰りいただきます。
※お寺で用意する材料の他に、ご自分達でヒョウタンやドングリや各種木の実など、炭にしてみたいものを持ち込みいただくのも大歓迎です。
●定員:20名前後

炭アート

炭には1gあたり畳180帖にもなる無数の孔があいており、その孔が水分の調節をするのみならず…悪臭を抑え電磁波を遮ったり、マイナスイオンを増やす効能があると言われています。この良い機会に炭の素晴らしさと美しさを一緒に再確認してみませんか?
どなたでもご参加いただけます。参加希望の方はこちらのコメント欄にご投稿ください。

ご家族・お友達等 お誘い合わせのお越しをお待ちしております。合掌


秋のお会式「高祖会」を盛大に厳修

去る11月23日(日)、東京の乗泉寺の竹部日同上人を奉修導師としてお迎えし、当山の秋のお会式「高祖会」が盛大に厳修されました。
おかげさまで晴天に恵まれ、たくさんの方がお参詣にお見えくださり、竹部お導師の御法門をありがたく拝聴させていただきました。ありがとうございました。合掌

高祖会2014

高祖会2014(3)


「ミニ法話とJAZZコンサートのゆうべ」を終えて

去る11月7日、当山の本堂において…ギターの廣木光一氏、ベースの飯田雅春氏、そしてパーカッションのヤヒロトモヒロ氏をお招きして、「ミニ法話とジャズの夕べ」という行事を開催していただき、大盛況のもと無事に終了することができました。
ミュージシャンの方々と参加者の皆様に深くお礼を申し上げます。

お客様としてご来場されて、美しい歌声も2曲披露してくださった鈴木麻美さんという方がいらっしゃいます。この方が臨場感溢れる素晴らしいレビューを寄せてくださいましたので、ここにご披露させていただきます。以下は転載です。合掌

ミニ法話とJAZZコンサートのゆうべ

立冬の夜、満月の夜。正晨寺の本堂には、小さな子供からお年寄りまで、まさに老若男女が集いました。お寺のみなさんや、ボランティアスタッフの方々に振舞っていただいたコーヒーやチャイをいただきながら、開演を待ちます。

静かな秋の宵に、音はどこまでも美しく、けして大きすぎず、時に静かであっても鮮烈なものでした。必ずしも音量が迫力を生むのではないのだと改めて知らされました。

暖かく優美に、時には張りつめた緊張感と大きなエネルギーで本堂のステージに現れた別世界に、いつしか引き込まれ…わたしは最後列から会場全体を見渡せる席におりましたが、小さな子もじっと静かに、大人たちは身体を揺らしたり、ぐっと前のめりになったりして、聴き入っていました。

アルバムMusicaに収録されている”光”Sound,Synonymous with Lightという曲の演奏に、わたしは特に強く心奪われました。かすかに読経の声が重なって聴こえたような錯覚も…なにか幽玄な時間でした。

わたしは、セカンドセットで2曲、歌わせていただきました。
このサウンドに溶け込むような声を、と願いながら歌わせていただきました。
ご一緒していただいたみなさまに…ご縁に、感謝します。
またこのトリオでの演奏を聴きたいなぁと今日も朝から、CDであの音の世界を反芻しています。


本堂の冬支度のためのご奉公

きょうは、朝から本堂の冬支度のためのご奉公です。
御本尊のお塵払いの後、お祖師様もお塵払いとお寡頭のお取り替え。そしてあたたかく冬をお過ごしいただけるようにお綿をかけさせていただきました。ご奉公を手伝ってくださった方々に感謝いたします。合掌

お祖師様ご尊像

 

 

 

 

 

 

お祖師様ご尊像


ミニ法話とJAZZコンサートのゆうべ

再度のご披露です。来る11月7日(金)。当山の本堂において「ミニ法話とジャズコンサートのゆうべ」という行事が開催されます。立冬の満月の夜に、簡単な仏教のお話を聞いていただいた後に、国内外のジャズシーンで大活躍をされているミュージシャンのお三方をお招きして、素晴らしい演奏を聴かせていただきます。ご家族やお友達をお誘いしてのご来寺をお待ちしております。

※おかげさまでたくさんの予約をいただいておりますが、まだ若干の定員の余裕があります。ご覧になりたい方はお早めのお申し込みをお勧めいたします。合掌

【詳細】
日 時:2014年11月7日(金) PM7:00開場 7:30開演
会 場:正晨寺(しょうしんじ)浜松市中区神田町1464
連絡先:090ー6535ー7773(ショウオン)
メール:show.on☆hotmail.co.jp(☆を@に変えてお送りください)
会 費:前売¥3500 当日¥3800

【ミュージシャンの紹介】

廣木光一(g)1956年神奈川県生まれ。幼少期ジャズ ラテン クラシックを耳にするも楽器は持たず。18歳でギターを始める。高柳昌行に師事。近年は自己バンドを中心に活動。ドキュメンタリー映画音楽も担当。廣木光一音楽塾主宰

飯田雅春(acb)1969年石川県生まれ。幼少期は大阪で育つ。早稲田大学モダンジャズ研究会を経てプロとなる。幅広い感性をもってのプレイ。作編曲 プロデュースもこなす次世代のリーダー。

ヤヒロトモヒロ(perc)1961年東京生まれ。少年時代の10年間スペイン領カナリア諸島で過ごす。帰国後 上智大学在学中にプロデビュー。ジャズ、ポップスをはじめ多種多様な内外ミュージシャンと交流。世界で活躍するパーカッショニストの第一人者。


人は死なない 東大救命医独自の死生観

とても面白い動画を見つけたので、皆様にぜひご紹介したいと思います。
これは、東大病院救急部・集中治療部部長の矢作直樹医師という方が、テレビのインタビューに答えて、「人は死なない。魂は永遠だ」という独自の死生観を語っているものです。
東大・臨床医・救急という…ある意味我々の宗教の世界と対極の分野の方が、大勢の人の臨終に立ち会った結果、このような考え方を持つに至ったという点に、私は非常に興味をそそられました。
おそらく動画はしばらくすると削除されると思うので、矢作医師の言葉だけ書き起こししてみました。できればその前に動画をご覧になってほしいです。
以下は転載です。

東大病院救急部・集中治療部部長 矢作直樹医師(57)。2年前に発表した著書が口コミで広がり、いま大きな話題となっている。そのタイトルは「人は死なない」。

矢作「肉体は滅んでも、我々の本当の体…魂はずっと続くので、魂として見ると永続するので、そういう意味では人は死なない…と」

著書「人は死なない」から

古代から日本人は、人は死ぬとその霊は肉体から離れてあの世に行くと考えていました。昔の日本人はみな直感的に「人の死後の存続」を信じていたのだと思います。

矢作「結構…若い人から私くらいの年齢まで、そういう経験をしている人っているんです。医療従事者だと…。理屈ではなくて感覚なんですよね。『あ、いるな』って感じで…。例えば、末期がんで助かりません、最期亡くなる時とか、亡くなる直前ぐらいに、はっと驚いたような顔をするんですよ。それが“お迎え現象”と呼ばれているものなんですけど…。顔がゆるむという言い方が正確かもしれません。それまで苦しそうな顔をしていたのが急にきれいな顔になるというか、おそらくお迎えに来られた人とお話をされているのではと思います」

矢作「最近、昔と違ってだんだん核家族化になって、人の死に立ち会わない人が多くなりましたでしょ。そうすると病院で身内の方を亡くされて、昔だったらこんなに嘆き悲しまないのにな…という人が増えてきたような気がする。いわゆる“死ぬ”ということを理解してほしいんですけど、病院に入ってくると“死なない”と思っているご家族が結構いるんですよ。」

矢作「我々から見たら分からないことだらけですよね。分からないと言ってるとみんな不安になるから、分かったような顔をしてやっているだけですもんね。逆にいうと分からないので一生懸命やらないといけない」

矢作「(冬の北アルプスで急斜面から滑落して、命がけでようやく下山した時)吹雪なのでヒューっと風の音だけが聞こえていたんですけれど、山を眺めていたら頭の中で“もう来るな”と大きな音が聞こえて、最初はこだまかなと思ったんですね。あれ?何やっていたんだろう自分はと思って、普段感じている…あるいは見ているのとは違う世界があるんだなと、他の方でちゃんとやりなさいというメッセージなのかなと」

矢作「(医療の役割は)寿命を全うすることをお手伝いするくらいでしょうかね。もちろんできることには限りがあるのですが、そういうお手伝いをしているのではという気がします」

矢作「(科学で解明できないことを語るのは?という質問に対して)たぶん科学にはなっていないけれど、科学の入り口ですよね。当然、電気とかは目に見えないわけですけど、科学になったわけですよね。それともう一つは『私は誰それが好きです』という時に、科学的に証明できませんよね。だから科学なんてひとつの方便でしかないと思うんですよ。」

矢作「(人は死んだらどこへ行くか?という質問に対して) ここでしょうね。つまり亡くなっても世界は重なっていて、カタチのない世界というのはどこにあってもいい。距離的な言い方が正確かどうかは分からないけれども、ここにあると…。だから昔の人が言っていた“里山で見ていますよ”って調子なんだと思いますけれどね。」

矢作「(死とは)お疲れさまという…とりあえずのこの世でのゴールだと思っています。例えばマラソンをするとしますよね。ゴールのないマラソンだったら大変ですよね。普通に生きていればここよりももっといいところに行けるので、必ず良い人生が送れた後にはより良い次の人生が待っていると思います」