この度…御導師 日印上人が権大僧正に昇進をされて、10月8日に京都の本山宥清寺において、厳かに叙任式が執行されました。
少々お天気が心配されていたのですが、おかげさまで晴天のお計らいをいただき、とても素晴らしい式典となりました。
早朝6時という早いお寺出発にもかかわらず、たくさんの信徒さん方がお祝いの随伴参詣をしてくださって、随喜の念に堪えません。ありがとうございました。合掌
佛立開導日扇聖人御教歌
そはよしと 互いに顔を見合せて とても出来ぬと あほはいふなり
良い意見がでても、さて実行をする段になると、皆んな自分の都合をいいたてて、誰も協力をしないから、いつまでも発展をしないと嘆かれたお歌です。
仏様が諸国を歩かれているとき、ある弱小国の王が不安そうにいいました。
「ご存じのように隣国はまことに強大です。わが国はいつか亡ぼされてしまうのでしょうか」
これを聞くや、仏様は
「たしかに隣国は強大ではあるが1人の専制君主にひきいられていて、人々は自分の意見をのべようとしない。それに対して、この国は、常に会議を開いて多くの意見がだされ、国民の1人1人が自分のなすべきことを知っている。亡ぶとすれば彼の国で、この国は安泰であろう」
と断言されたそうです。
正晨寺憲章の中には
「意見は、進んで提案し活かしましょう」とあって、仏様のお耳に達すれば、きっとお喜びいただけるような約束がのべられています。
たとえお寺が小さくとも、この正晨寺憲章の心のように実行すれば、お寺の発展も、個人の心願成就も意のままです。お寺を良くする提案をし、分に応じて御奉公を分担して、努力させていただきましょう。
ブラジル佛立宗のコレイア師に紹介されて、当山の所属としてお預かりしている水野ジョナタン君が新聞に載りました。とても良い記事です。ぜひお読みくださいませ。合掌
『野球で「東京」へ 3世の夢』
読売新聞 2016年7月21日
南米初となるリオデジャネイロ五輪(8月5日~21日)が、まもなく開幕する。コーヒーやサッカーなどブラジルを象徴する文化やスポーツは日本にも根付いているが、両国交流の歴史を築いてきたのは100年余り前、地球の反対側に渡った日本からの移民と、その子孫たちだ。そんな“遠くて近い”両国の関係者が、「リオと東京」という二つの五輪に特別な思いを寄せる。
浜松市内にある高校のグラウンド。照明の下、野球のクラブチーム「浜松ケイ・スポーツBC」に所属する水野ジョナタン正一さん(20)が週2回、チームメイトと一緒に練習に打ち込む。
ジョナタンさんは2014年3月、ブラジル・パラナ州クリチバから日本に来た日系3世。平日の昼間は楽器工場で派遣工員として働きながら、夜はグラウンドやジムなどに向かう。
ブラジルでは、地元のクラブチームに中学生から参加。12年には全国大会で優勝し、大会の「ベスト・ピッチャー」に選ばれたこともあるが、サッカーの盛んなブラジルでは将来、プレーする場が限られてくるのは、わかっていた。「野球が盛んなおじいさんの祖国・日本でプロになりたい」
その祖父は、1908年に781人の日本人を率いて海を渡った高知県出身の実業家、水野龍氏。ブラジルへの日本人移民の歴史は、この第一陣を乗せた移民船「笠戸丸」の航海から始まり、水野氏は「ブラジル移民の父」と称された。そして、ジョナタンさんの来日は、没後60年以上が過ぎた水野氏が導いた。
出身地の同県佐川町とホームタウン協定を結ぶ野球の独立リーグ傘下の高知ファイティングドッグスが、ジョナタンさんを練習生として受け入れ、生活費は水野氏の顕彰会が支援した。
しかし、日本の野球のレベルは高く、目立った成績を残すことができず、昨秋、浜松へ移籍。投球フォームを作り直すところから始めているが、最近、右ひじに痛みを覚える。部長の中村好志さん(51)は「投げ方が悪いから。でも、良くなってきたし、ようやく体もできてきた」と話すが、本人は日本での挑戦に区切りを付け、帰国することも時々、考える。水野氏の三男にあたる高齢の父、龍三郎さん(85)が心配だからだ。
国に戻ったら、家族を支えるため大学に進学し直し、就職することになるが、ひそかに描く夢もある。4年後の東京五輪で、競技種目に野球が復活したら…。「ブラジル代表になって、日本と試合がしたい」。
両親と自分の古里・ブラジル・祖父の国・日本とをつなぐ絆が、五輪でまた強くなる。
■移住100年 父は誇り
人口100万人を擁する南米最大の都市・サンパウロ。意匠を凝らした墓石が並び、地元の美術大生も見学に訪れるという墓地の奥まった一面に、漢字が刻まれた素朴な墓がある。
ここに眠るのは水野龍氏。1908年、神戸港を出た最初の移民船「笠戸丸」で日本人781人をブラジルへと率い、「ブラジル移民の父」と称される人物だ。
「南無妙法蓮華経…」。6月のある日、水野氏の墓前に、イタリア移民の血を引く僧侶、マルコス・コレイアさん(48)の姿があった。水野さんは檀家で、コレイアさんは月命日の前後、墓を訪れ、経を唱えている。
ブラジルに仏教を伝えたのは、笠戸丸に1人だけいた僧侶だったとされ、コレイアさんは、その弟子筋。
「師匠を連れてきてくれたのが水野さん。私が仏教と出会い、こうして供養できるのも、100年を超えた縁です」と語る。
「僕は、父をずっと悪人だと思っていたんです」。サンパウロから南西約350キロのパラナ州クリチバ。ここで生まれ育った水野氏の三男で、日系2世の龍三郎さん(85)は父を語る時、決まって、こう切り出す。
高知県出身の水野氏は、慶應義塾を卒業して仕事を転々とした後、03年に「皇国植民会社」を作った。当時のブラジルは、奴隷解放によりコーヒー農園の働き手が不足。一方、日本では日露戦争後の経済の疲弊や食糧難から、新天地を求めて移住を考える人が大勢いた。
水野氏はその後も日本との間を行き来し、東京・銀座などにコーヒーチェーン店「カフェーパウリスタ」を開店し、ブラジル産のコーヒーを低価格で販売。ハイカラな雰囲気の銀座の店には、芥川龍之介ら多くの文士も出入りし、コーヒーを広めるきっかけとなった。
だが、ブラジルへ渡った移民の中には、苦境に陥る人も少なくなかった。初期の頃、コーヒー農園のコロノ(農業労働者)として雇われた多くは、床板もない掘っ立て小屋同然の施設に押し込められ、農園主らからかねや笛で追い立てられるように働かせられた。
「水野にだまされて、連れてこられた」。龍三郎さんは子供の頃、周囲の移民たちから、そんな言葉を幾度となく浴びせられた記憶が鮮明に残っている。
水野氏はその後、クリチバから北西に約100キロ離れた同州ポンタグロッサに、理想郷を求めて移住した。その資金繰りのために帰国中、第二次世界大戦で連合国側についたブラジルと日本は国交を断絶。終戦から5年後、ようやく戻ることができたが、土地は人手に渡り、水野氏は翌51年、失意のうち91歳で亡くなった。
笠戸丸移民から100年余を経て再評価された父を、「頑固で、子供の目にはとても恐ろしい人に映ったが、決して私欲だけで移民事業を進めたのではなかった」と龍三郎さんは誇りに思う。
龍三郎さんは97年から2年間、出稼ぎのため、妻のヤナギヤミズノ・レジナさん(41)(日系2世)と、生後間もないジョナタンさんを連れて来日し、浜松で暮らした。
そのジョナタンさんが成長し、今度は、日本のプロ野球を目指して再び海を渡ろうと決意。龍三郎さんは、「水野の孫なのだから、恥ずかしいことだけはしないように」と言って送り出した。
日本との間を行き来し、戦中戦後の9年間、ブラジルに戻れなかった父。それだけに、龍三郎さんは「家族はやっぱり一緒に暮らす方がいい。みんなでジョナタンの夢を応援したい」。
息子はブラジルに戻ってもいいと言うが、龍三郎さんは家族を連れ、父の祖国へ渡ることも考えている。
6月11日に行われた「ミニ法話と音楽のゆうべ 水無月 雨やどりコンサート」の動画が出来上がりました。素晴らしいコンサートの様子をミュージシャン方の許可をいただいて、特別に6曲アップさせていただきます。ぜひご覧くださいませ。合掌
【Rainy Days and Mondays 】
言わずと知れたカーペンターズの名曲。芳名は「雨の日と月曜日は」
【雨降り】
鈴木麻美さんのユニット「JazzDialogue」のオリジナル曲。
作詞 鈴木麻美 作曲 藤森潤一
【ふきの傘】
丸山研二郎さんのオリジナル曲。
作詞 作曲 丸山研二郎
【雨のステイション】
松任谷由実(ユーミン) の名曲。
【春】
丸山研二郎さんのオリジナル曲。
作詞 作曲 丸山研二郎
【遠くの花火】
鈴木麻美さんのユニット「JazzDialogue」のオリジナル曲。
作詞 鈴木麻美 作曲 藤森潤一
どなたでもお気軽にご参加いただける、和歌・韻文教室を、正晨寺にて開催しております。今月も予定通り開催いたします。
和歌・狂歌・俳句・川柳・都々逸…その他。万葉集や古今和歌集等の名歌や、優れた宗教家の詠んだ作品等を鑑賞しつつ、講師がわかりやすくポイントの解説をします。その後、参加者も自分で歌を作ってみて、それを添削してもらいながら勉強いたしましょう。初めて和歌等を志す方から本格派を目指す方まで、句作の方法も鑑賞力も総合的に身につく楽しい講座です。
【日時】毎月25日 13~14時
(急な法事等で開催できない場合もあります。御了承下さい)
【会場】正晨寺 講堂
【会費】無料
(お志のある方は、お賽銭箱にわずかな浄財を御奉納下さい)
【定員】20名
【講師】丸山日印
※正晨寺住職。江戸時代の名僧で一流の文化人でもあった長松清風(日扇聖人)の和歌の研究をライフワークとする。京都の佛立教育専門学校の理事長を務め、教職として宗内の僧侶に和歌等を教えている。万葉集や古今和歌集などの古典にも造詣が深い。「長松清風歌集」「四季の和歌」「心の和歌」など著書も多数。
大好きなヴォーカリストの鈴木麻美さんと、僕の弟でギタリストの丸山研二郎によるデュオのコンサートです。ジャズのスタンダードや懐かしのメロディ、ちょっと詩的なオリジナル曲を、幻想的な雰囲気の本堂で聴いていただきます。当日はきっと素晴らしい夜になると思います。ご家族・お友達お誘い合わせの上、どなたでもぜひ正晨寺に御来寺くださいませ。合掌
【日時】6月11日(土) 18時開場 19時開演
【会場】正晨寺 本堂
【ミュージックチャージ】2000円(チャイ・コーヒー・お菓子付き)
【ご予約・お問い合わせ】090ー6535ー7773
【定員】50名(要予約)
【鈴木麻美】浜松市出身。水瓶座。ロック、ポップス、ソウルなどのバンドを経て、1999年よりジャズシンガーとしての活動を仮死し。美山夏蓉子死に指示。自己のユニット「プリン・ア・ラ・モード」で毎月第四金曜日にジャズスポット「アナログ」に出演するほか、「ジャズ・ダイアログ」「たま3」では作詞を担当し、オリジナルの世界も展開する。
ダンス・朗読・映像とのコラボレーションも積極的に行い、その音楽活動は多彩。
2015年3月、ジャズダイアログ・ファーストアルバム「Jazzy」をリリース。
【丸山研二郎】
垣根のない様々な音楽を融合しながら、独学にて演奏・作曲をする。
音楽のみの舞台にとどまらず、映像・朗読・ダンス・美術・民族音楽など、ジャンルの異なる表現との多岐にわたるコラボレーション活動を行う。
現在までに「水景」「光の雨の国」「しらさぎの歌」「White Cobalt Orange」「ある海のための音楽」「空の灯」の6枚のアルバムをリリース。1982年 静岡兼浜松市生
どなたでもお気軽にご参加いただける、和歌・韻文教室を、正晨寺にて開催しております。
和歌・狂歌・俳句・川柳・都々逸…その他。万葉集や古今和歌集等の名歌や、優れた宗教家の詠んだ作品等を鑑賞しつつ、講師がわかりやすくポイントの解説をします。その後、参加者も自分で歌を作ってみて、それを添削してもらいながら勉強いたしましょう。初めて和歌等を志す方から本格派を目指す方まで、句作の方法も鑑賞力も総合的に身につく楽しい講座です。
【日時】毎月25日 13~14時
(急な法事等で開催できない場合もあります。御了承下さい)
【会場】正晨寺 講堂
【会費】無料
(お志のある方は、お賽銭箱にわずかな浄財を御奉納下さい)
【定員】20名
【講師】丸山日印
※正晨寺住職。江戸時代の名僧で一流の文化人でもあった長松清風(日扇聖人)の和歌の研究をライフワークとする。京都の佛立教育専門学校の理事長を務め、教職として宗内の僧侶に和歌等を教えている。万葉集や古今和歌集などの古典にも造詣が深い。「長松清風歌集」「四季の和歌」「心の和歌」など著書も多数。
佛立開導日扇聖人御教歌
わがつみの きゆるよすがと 唱ふるや 妙のみ法の こえぞたのしき
お題目を唱えるごとに苦しみの種がへっていくかと思うと、うれしくてならないとお示しのお歌です。
お祖師さまが
「我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり、譬えば種子(たね)と菓子(このみ)と身と影の如し。」
と仰せられるように、私たちは両親から長短両方の特徴を受けついでいます。その両親は祖父母から、祖父母は曽父母からと際限ありません。ある物好きが、俗に言う、私たちのご先祖、両親2人にそれぞれ両親があって4人という風に計算したところ、十代前は2千人、二十代前は2百万人、三十代前となると2億人という数字となったそうです。
三十代前というと大層古い昔のようですが、凡そ150~60年前くらいだというのですから驚きです。
いずれにしても、私たちの体には沢山のご先祖方のいろいろな力が組み込まれています。果報のない人は先祖どころではなく、両親の短所をもろに受けて短命に終わったりします。果報のある人は、トビが鷹といった具合に、実の父母が目をむくような立身出世をします。
このお題目口唱は、私たちの内蔵している良い力を発揮させ苦しみの種を消滅するのです。ご信者は親より子、子より孫と末広がりに幸せになるよう、口唱参詣等、修行を軽んじない事が大切です。
(前進 昭和63年 9月号より)
このたび浜松市の文化事業として開催される「寺社カフェ」という企画に、私達の正晨寺も参加させていただくことになりました。
この企画はNPO法人「楽舎」の代表を務められる池谷さんが立てたもので、3月23~31日までの間の数日…参加をするお寺などが地域に対してそれぞれ門戸を開き、来訪者をおもてなしするというイベントです。
※ここから公式のパンフレットがダウンロードできます↓
http://raksha.jp.net/jinja-tera-cafe/
本来、お寺という場所は、文化や伝統を継承し…人と人とをつなげるコミュニティの場所だったはずなのですが、昨今はそういう活動をするところは非常に少なくなり、ただ自坊の信者(檀家)としか関わらないところがほとんどです。
私達も、そういう現状には憂慮を抱いておりましたので、少しでも地域のお役に立てることを嬉しく思います。
当山の参加日は29~30日、両日とも時間は10~16時です。
訪問者のお名前を御宝前に言上して、その方の心願成就や病気平癒などの御祈願をさせていただき、一緒に御題目(南無妙法蓮華経)をお唱えします。終了後はお茶などを飲みながら悩み事などの相談にも乗れればと思っています。
どなたでも自由にご参拝できます。皆様のお越しを心よりお待ちしております。合掌