せまい量見をすてよう

開導日扇聖人ご教歌
考へて悟る位の法なれば 御題目はいらぬもの也

もう少し信心が判ったら、得心したらご奉公しますという人がいるが、凡夫の知恵で奥底の見極められるようなものなら、お祖師さまのような宗教的天才が命がけで修行なぞなさる訳がありません。

自分のせまい量見をすててお寺に近づき、口唱に励めば今よりももっと幸せになれるのだとお示しのお歌です。

昔の講談本に剣術の伝書盗みの話がのっていますが、こんないいかげんな話はありません。事実、現存している免許皆伝書を見れば、「浮舟」口伝、「松影」口伝といった具合で、全ての技は、師匠から弟子に口伝の形で伝えられています。近世の剣豪山岡鉄舟の道場春風館の免許皆伝は7日7夜、僅かな不浄の休憩と、一滴の粥を啜るだけで何百人もの精鋭と立ち合いをし、文字通り生き残ったものが得られたとのことです。つまり精魂つきたところ、理外の理で無意識に行う動作の中に剣の妙が生まれるということでしょう。

剣の道でさえそうなのですから、信心の道は尚のことです。理屈ばかり言っていてうまくいく道理がありません。

世間で苦しんでいる人の中には、自分よりはるかに賢い人が大勢います。つまり人の力だけでは幸福を永久にまもり通すことができない証拠の1つでもある訳ですから、小我をたてず、参詣に口唱に励みましょう。  (前進 昭和58年2月号より)

rittteoeww


In The Fall

以前にご紹介した“人間の欲を全て写し出した「世界一笑えない」3分間のアニメ”と同じ作者が作った(と思われる)「In The Fall」という動画を見つけました。これもどうにも笑えない微妙な作品で、良かったらご覧くださいませ。合掌


その女性は何をしても続かない人でした。

今回は、ネットで見つけた良い話をご紹介いたします。いいな♪と思ってコピペしておいて随分長らくほったらかしにしていたので…元々のリンク先はわかりません。あしからず…

その女性は何をしても続かない人でした。

~中略~

彼女は用意していた辞表を破り、翌日もあの単調なレジ打ちの仕事をするために、スーパーへ出勤していきました。

ところが、「2,3日でいいから」とがんばっていた彼女に、ふとある考えが浮かびます。
「私は昔、ピアノの練習中に何度も何度も弾き間違えたけど、繰り返し弾いているうちに、どのキーがどこにあるかを指が覚えていた。そうなったら鍵盤を見ずに楽譜を見るだけで弾けるようになった」

彼女は昔を思い出し、心に決めたのです。
「そうだ。私は私流にレジ打ちを極めてみよう」と。

レジは商品毎に打つボタンがたくさんあります。
彼女はまずそれらの配置をすべて頭に叩込むことにしました。

覚え込んだらあとは打つ練習です。彼女はピアノを弾くような気持ちでレジを打ち始めました。そして数日のうちに、ものすごいスピードでレジが打てるようになったのです。

すると不思議なことに、これまでレジのボタンだけ見ていた彼女が、今まで見もしなかったところへ目がいくようになったのです。

最初に目に映ったのはお客さんの様子でした。
「ああ、あのお客さん、昨日も来ていたな」
「ちょうどこの時間になったら子ども連れで来るんだ」
とか、いろいろなことが見えるようになったのです。それは彼女のひそかな楽しみにもなりました。

相変わらず指はピアニストのように、ボタンの上を飛び交います。そうしていろいろなお客さんを見ているうちに、今度はお客さんの行動パターンやクセに気づいていくのです。

「この人は安売りのものを中心に買う」とか
「この人はいつも店が閉まる間際に来る」とか
「この人は高いものしか買わない」
とかがわかるのです。

そんなある日、いつも期限切れ間近の安い物ばかり買うおばあちゃんが、5000円もするお頭付きの立派なタイをカゴに入れてレジへ持ってきたのです。

彼女はビックリして、思わずおばあちゃんに話しかけました。
「今日は何かいいことがあったんですか?」

おばあちゃんは彼女ににっこりと顔を向けて言いました。
「孫がね、水泳の賞を取ったんだよ。今日はそのお祝いなんだよ。いいだろう、このタイ」と話すのです。

「いいですね。おめでとうございます」
嬉しくなった彼女の口から、自然に祝福の言葉が飛び出しました。

お客さんとコミュニケーションをとることが楽しくなったのは、これがきっかけでした。いつしか彼女はレジに来るお客さんの顔をすっかり覚えてしまい、名前まで一致するようになりました。

「○○さん、今日はこのチョコレートですか。でも今日はあちらにもっと安いチョコレートが出てますよ」
「今日はマグロよりカツオのほうがいいわよ」などと言ってあげるようになったのです。

レジに並んでいたお客さんも応えます。
「いいこと言ってくれたわ。今から換えてくるわ」
そう言ってコミュニケーションをとり始めたのです。

彼女は、だんだんこの仕事が楽しくなってきました。そんなある日のことでした。

「今日はすごく忙しい」と思いながら、彼女はいつものようにお客さんとの会話を楽しみつつレジを打っていました。

すると、店内放送が響きました。
「本日は大変混み合いまして大変申し訳ございません。どうぞ空いているレジにお回りください」

ところが、わずかな間をおいて、また放送が入ります。
「本日は混み合いまして大変申し訳ありません。重ねて申し上げますが、どうぞ空いているレジのほうへお回りください」

そして3回目。同じ放送が聞こえてきた時に、初めて彼女はおかしいと気づき。周りを見渡して驚きました。どうしたことか5つのレジが全部空いているのに、お客さんは自分のレジにしか並んでいなかったのです。

店長があわてて駆け寄ってきます。そしてお客さんに
「どうぞ空いているあちらのレジへお回りください」と言った、その時です。

お客さんは店長に言いました。
「放っておいてちょうだい。私はここへ買い物に来てるんじゃない。あの人としゃべりに来てるんだ。だからこのレジじゃないとイヤなんだ」

その瞬間、レジ打ちの女性はワッと泣き崩れました

お客さんが店長に言いました。
「そうそう。私たちはこの人と話をするのが楽しみで来てるんだ。今日の特売はほかのスーパーでもやってるよ。だけど私は、このおねえさんと話をするためにここへ来ているんだ。だからこのレジに並ばせておくれよ」

彼女はポロポロと泣き崩れたまま、レジを打つことができませんでした。仕事というのはこれほど素晴らしいものなのだと初めて気づきました。
すでに彼女は昔の自分ではなくなっていたのです。

それから、彼女はレジの主任になって、新人教育に携わりました。彼女から教えられたスタッフは、仕事の素晴らしさを感じながら、お客さんと楽しく会話していることでしょう。


仏教説話「カメと白鳥」

今回は、仏教説話の中より「カメと白鳥」というお話をご紹介いたします。

ヒマラヤの山の池に1ぴきのカメが住んでいました。このカメは大変おしゃべりがすきでした。あまりにもおしゃべりだったので、ついにだれもカメのあいてをするものはいなくなってしまいました。

ある時、この池に2羽の白鳥が エサをもとめてやってきました。
カメは大喜びで白鳥に声をかけました。
「こんにちわ、白鳥さんたち。今日はどうして、この池にこられたんですか?」
白鳥 たちは、カメに答えました。
「じつは、エサをさがして、山の上をとんでいたのですが、ちょうど、おいしそうな魚が泳いでいそうなこの池をみつけたので、降りてみたんです。」
「それは、ちょうどよかった。この池には白鳥さんがすきな魚がたくさんいます。 ゆっくりしていらしてください。」
白鳥はよろこんで、さっそく魚をとりはじめました。
 
やがて、白鳥たちはおなかいっぱいに魚を食べ、身繕いをはじめました。カメは、白鳥たちにさっそく話をきりだします。
「ぼくはいつもこの池でひとりぼっちです。人と話をしたいのだけども、返事をしてくれるひとはだれもいません。どうかときどきこの池にきて、話し相手になっていただけませんか?」
気のいい白鳥たちは、こころよくカメのおねがいを聞くことにしました。

その日いらい、2わの白鳥はこの池にやってくるようになりました。
「あのね、白鳥さん…それでね、白鳥さん…」
白鳥が池にやってくると待ちかまえたようにカメは話しはじめます。この池でおこったこととか、それはもうなんでもかんでもです。白鳥たちは、おちついてろくにエサも食べることができません。しかし、白鳥たちは、がまんして、しんぼうづよく、カメの話をきいてやっていました。

ある日、カメはめずらしく、自分ばかり話すのではなく、白鳥にたずねました。
「ところで、白鳥さんたちは、どんなところに住んでいるのですか?」
「私たちは、チッタクータ山の 金色のほら穴に住んでいるんです。それはもう、ほんとうにきもちのよいところです。このヒマラヤ山の中では1番です。」
「いいなぁ。ぼくもそんなきもちのいいとこに行くことができたらなぁ。」
カメはほんとうにうらやましそうな顔をして言いました。

「それならカメさん、いっしょに行きましょうよ。」
「でも、ぼくには白鳥さんのように空をとぶことができません。とてもそんな遠いところへは・・・。」
「だいじょうぶですよ。わたしたちがカメさんを運んであげます。」
それをきいて、カメの顔はパッと明るい笑顔になりました。
「白鳥さん、ありがとう。ぜひおねがいします。」

白鳥たちは、どこからか1本の棒きれをさがしてきて、カメに言いました。
「いいですか、カメさん。1つ約束してください。私たちがあなたを運ぶあいだ、けっして口をひらかないでください。」
「わかりました。ぜったい口をひらきません。」
カメは真剣な顔で答えました。

白鳥たちは、カメにひろってきた棒きれのまん中をくわえさせ、自分たちは棒きれのはしをそれぞれくわえます。やがて強い風が吹いてきました。白鳥たちが、翼をいっぱいひろげたとき、カメと白鳥たちは、空たかく舞い上がりました。 カメははじめて空を飛ぶよろこびで、おもわず声をあげそうになります。でも、白鳥たちとの約束を思い出し、ぐっと声をのみこみました。
「あぶない、あぶない、もうちょっとで口をひらくところだった。」
カメは心のなかでそっとつぶやくのでした。

カメと白鳥たちはぐんぐん飛び続けました。下には、小さくみえる村や畑がどんどん過ぎ去っていきます。やがて、ベナレスの王様の御殿の上にさしかかったとき、御殿のそばでは、村の子どもたちがあそんでいました。ひとりの子どもが白鳥たちをみつけて、
「あれっ、なんだ。」
その声をきいて、ほかの子どもたちも空をみあげます。
「あっはっは、なんだあれは。カメが白鳥のくわえた棒きれにぶらさがっているよ。」
「あっはっは、なんて、へんてこな、かっこなんだ!」
子どもたちは、大笑いしながら、はやしたてました。

その子どもたちの声が、カメの耳にとどきました。
「この悪ガキどもめ、やさしい白鳥さんがぼくのため、いっしょうけんめい飛んでくれているというのに!」
カメがおもわずそう叫ぼうとして口をひらくと・・・。ひゅるるるる~ん!!
カメは口をひらいて、くわえていた棒きれをはなしてしまったものですから、高い高い空から落ちてしまいました。

カメが落ちたところは、王さまの御殿の庭でした。御殿は大騒ぎです。
「うわぁ、空からカメがおちてきた。甲羅が割れてまっぷたつだ。」
「なんのさわぎだ。」
王様は相談役の菩薩とやってきて、体が割れて死んでしまったカメをごらんになりました。
「これはいったいどうしたことだ。どうしてこんなカメがそらから落ちてきたんだろう?」

菩薩は神通力で、なぜこうなったのかを知り、王様にわけを話しました。
そしてこう言葉を続けました。
「カメはしゃべってはいけないときに、我慢できず口をひらき、そしてとうとう死んでしまいました。口数が多く、まわりのことを考えずに、おしゃべりするととんでもないことになるのです。」

王さまは、ボーディサッタのことばをしっかりと心のなかに刻み込むのでした。


キース・ジャレット 「Over the Rainbow」

今日は、1日お寺から出れないので、境内の掃除や炭焼きの実験でもしようと思っていたのですが、この雨ではちょっと外の作業はできません。仕方がないので大好きなキース・ジャレットの音楽でも聴きながら、御法門の作成やたまっている事務仕事を片付けようと思います。合掌


貧しい供え物

今回は、仏教説話の中より「貧しい供え物」というお話をご紹介いたします。以下…

昔、バーラーナシーの 都に近い村では、それぞれの木に宿っている樹の神を敬い拝むというならわしがありました。祭りの日が来ると、村人たちはそれぞれ自分の拝んでいる樹の神に様々な供え物をしました。

その村に 一人の貧しい男がいました。この男も そのならわしに従って、自分の拝んでいる一本の木の前へやって来ました。 

ほかの人々は、花の飾りや においのいいお香、それに おいしい食べ物などを たくさん供えていましたが。しかし、貧しい男にはそんなものはありません。男が供えようと持ってきたのは、粗末な菓子と、ヤシの器に入れた一杯の水だけだったのです。

男は 木の前に立って考えました。
「神さまは、このうえもないおいしいごちそうをいつも食べていらっしゃる。わたしが持ってきたこんな粗末なお菓子など、きっと食べてくださらないに違いない。このお菓子は 粗末とはいえ、わたしにとっては大切なものだから、ここへお供えしておくよりも、わたしがいただいた方がいいかもしれない」

男は、ちょっとしょんぼりしながら菓子と水を持って立ち去ろうとしました。
その時、男を 後ろから呼び止める者がありました。

「男よ、ちょっと待て。」

男が驚いて振り返ると、樹の神が姿を現して呼びかけているではありませんか。

「もどってきなさい。お前は何をそんなに卑屈になっているのだ。」

樹の神は、男に向かって優しくほほ笑んでいました。

「なにも恥じることはない。もしお前が長者であれば、りっぱなお供えをすることができる。しかし、お前は貧しいのだ。貧しいお前がありったけのお金を使い、そして心からの供え物を持ってここへ来てくれた。私はそれだけでもうれしい。それなのに、それを持って帰るとはどうしたことだ。お前にとってのごちそうは、わたしにとってもごちそうなのだ。」

男は 申しわけのないことをしてしまったと後悔して、菓子と水を供え直しました。すると、樹神はそれをおいしそうに食べながら男に尋ねました。

「男よ、お前は何を願ってわたしを拝むのだ。その願いを述べてみなさい。」

「わたしは貧乏でございます。ですから、あなたのお助けによって、今のこの貧しい境遇から抜け出したいと拝んでいるのでございます。」

「 分かった。お前は貧しいにもかかわらず、真心をもってわたしに供養してくれた。その善業の功徳として、わたしはお前にいいことを教えよう。この木の周りの土の中には、お金や宝の詰まったつぼがたくさん埋めてある。お前はこのことを王に申し上げ、掘り出したつぼをお城に積み上げるのだ。王はお前の行いに感謝し、必ずお金を扱う役人にとり立ててくださるだろう。」

そう言い終わると、樹の神はすっと木の中へ姿を消してしまいました。正直者の男は、樹神から聞いたとおりを王に伝えました。王は男と家来たちに木の周りを掘らせ、金銀財宝の詰まったつぼを城へ運びました。そして王は男に感謝して言った。

「独り占めしても、だれにも分らないものを ・・・・・。」

王の言葉を聞いて、男は答えました。 

「神さまが ご覧になっていらっしゃいますから。」

王は男の正直さに感心して、満足気に言いました。 

「お前を、今掘り出したこの金銀財宝を管理する役人にしよう。」

「ありがとうございます。一生懸命務めます。」

男は喜んで引き受けました。そして、それからは豊かで幸せな日々を送ったということであります。


味噌作り終了。感謝感謝

去る24日、お寺で味噌を30キロ仕込みました。麹を扱って60年のプロに教えていただいたレシピを、備忘録も兼ねてアップしておきましょう。名倉さん、本当にありがとうございました。合掌

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①前日の夕方、6升の大豆をよく洗い水に浸す。

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②当日の朝7時、鍋に火を入れる。丁寧にアクを取りながら約4時間煮込む。

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③大豆を煮込んでいる間、6升の麹をほぐし約3・5キロの塩としっかり混ぜ合わせる。
④大豆が煮えたら、約4時間かけてゆっくり蒸らす。

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⑤厚手のビニール袋に大豆を入れて、足で踏みしっかりと潰していく。

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⑥潰した大豆と塩切りした麹をまんべんなく合わせる。その際に大豆を煮た時の煮汁を少し入れて、ハンバーグの生地ぐらいの硬さに調節する。

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⑦保存する樽の中にビニール袋を入れ、その中に混ぜ合わせた味噌(の元)を団子状に丸め、空気が入らないように投げ入れていく。
⑧一晩その状態で置いておき、翌日ビニールの上を縛って熟成させる。


お寺で味噌作りします

急な話で恐縮ですが、明後日の24日、お寺で30キロの味噌を仕込むことになりました。
2月8日に行われた「麹職人の甘酒とお話の会」でも講師をして下さった…当山信徒の名倉さんのご指導をいただく予定になっています。

つきましては…せっかくプロの麹職人の方に指導をいただける大チャンス。私達だけ教えてもらうのは勿体ないので、もし味噌作りを見学してみたい。あるいは体験してみたいと思われる方は、当日ぜひお寺においでくださいませ。一緒にわいわいやりながら遊びましょう。
いちおう朝の8時頃から大豆を煮込み始め、大体昼過ぎまでの行程になると思われます。

もし、参加されたいと思う方は、この記事のコメント欄かメールフォームにメッセージをよろしくお願いいたします。合掌

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マヨネーズの瓶と二杯のコーヒー

本来であれば…日曜日に行われた門祖会の様子をアップしたいところなのですが、まだ写真が私の手元に届いていないものですから(汗)、今回もネットで拾ったなかなか良い話をご紹介いたします。

 

「マヨネーズの瓶と二杯のコーヒー」

哲学の授業が始まる前に、1人の教授があるものを持って教壇に立った。

授業が始まると、彼は黙ったまま、非常に大きな空のマヨネーズの瓶(海外でマヨネーズは瓶で売られていることが多い)を手に取り、その中に「ゴルフボール」を一杯になるまで詰め込みました。
そして彼は生徒たちに「この瓶は一杯ですか?」と尋ねました。
生徒たちは「一杯だ」と答えました。

マヨネーズの瓶

次に教授は「小石」の入った箱を取り出し、それらを瓶に注ぎ込みました。彼は瓶を軽く振り、小石はゴルフボールの間にある隙間を埋めていきました。

彼はまた生徒たちに「この瓶は一杯ですか?」と尋ねました。
生徒たちは再び「一杯だ」と答えました。

次に教授は「砂」の入った箱を取り出し、それらを瓶へ注ぎ込みました。その砂は予想通り、ビンの中のすき間を埋めました。

彼は再び生徒たちに「この瓶は一杯ですか?」と尋ね、学生たちはみんな「はい」と答えました。

次に教授はテーブルの下から「2つのカップに入ったコーヒー」を取りだし、砂と砂のすき間を埋めるようにそのコーヒーを瓶へ注ぎ込んでいきました。生徒たちは笑いました。

「さて」
教授のこの言葉に、生徒たちの笑いが止まりました。

「この瓶は、あなたの「人生」を表していることに気がついて欲しい。ゴルフボールは人生の中で最も大切なもの。あなたの家族、子ども、健康、友人、情熱など重要なものを表しています。たとえ他のすべてを失っても、これら大切なものが残れば、あなたの人生は満ち足りたものであるでしょう」

「小石はそのほかの物、たとえば、仕事、家、車など。」

「砂は、他の小さなものを表します。もし、あなたが初めに「砂」で瓶をいっぱいにしてしまったら、小石やゴルフボールを入れるスペースがなくなってしまいます。これは人生と同じで、もしあなたが些細なことに、全ての時間とエネルギーを費やしてしまったら、あなたは決して大切なものを手にすることができません」

「あなたの人生における大切なものに気をかけてください。子どもと遊びなさい。健康診断を受けなさい。パートナーと食事に行きなさい。掃除や物の片付けなんかは、いつでもできるのだから」

「人生におけるあなたの「ゴルフボール」を大切にしなさい。優先順位をつけるのです。ほかのものは全て単なる「砂」です」

すると1人の生徒が手を挙げ、「では、コーヒーは何を表しているのですか?」と質問をしました。

教授は笑いながら「よくぞ聞いてくれた」と言い、
「これは人生がどんなに手一杯に見えても “友達と一緒にコーヒーを楽しむ時間はいつもある” ということを表しています。」と答えました。


成功は続けることから

オウム

 

開導日扇聖人御教歌
していけばでけていくものでけぬとて
やめたらやめただけのびんばふ(貧乏)

貧乏で苦しいからと、ヤケを起こして仕事をやめてしまえば、余計貧乏になります。どんな事でも根気良く続けていけばかならず芽がでるもの。世法も仏法も同じとお示しの御教歌です。

仏さまのお譬え話ですが、昔竹ヤブの小動物に招かれてお客となったオウムが、いざ家に帰ろうとする日に、竹ヤブが大火事になりました。オウムは、自分の翼をぬらして、その水で火を消そうとしたので、仲間がその無茶をとがめると、「ご恩返しのために、この一生で火を消せなければ、生まれ変わってもかならずやりとげます」と答えたので、天の神が感動をして、雨を降らせたと説かれています。

生まれ変わっても初志を貫こうとしたオウムの話はお話の美化としても、私たちのまわりには、あまりにも続けることの不得手の者が大勢います。職業にしても、2~3年で仕事を変えていれば、いつまでたっても熟練者になれませんから、こちらの要求を通すことができません。

お看経にしても、1月や1年でやめてしまえば、水虫に薬をぬるようなもので、なおったと思うところから再発するように、罪障がまたたくまに出てきてしまいます。「信心は持つにあり」で、根気よく続けること、これが諸願成就の道です。(前進 昭和57年8月号)